ビキニ環礁シンジケート

書くことが楽しい

恋の揮発性

  なんと一年九ヶ月ぶりです。

  いや、ちょっと待って。色々あるんだけどさ、まず、2018年の話していい? 全然書いてなかったから。

  大丈夫、みんなの言いたいことはすげーよくわかる。あれでしょ、もう2019年が終わるつってんのに、って話でしょ。言っとくけど俺もそう思ってるからね。それを最初に思ったのは俺だから。みんなは今更2018年の話を読まなきゃならないのか、って思ってるかもしんないけど、俺はそれを一文字ずつ書かなきゃなんだからね。いや、ほんとわかんの。たとえばさ、ラグビーW杯良かったねー! みたいな話をこのタイミングでされても今更感があんのに、俺がしたい話って日大アメフト部の悪質タックルの話とか、タイの洞窟から13人の少年が全員救出された話なの。あの、みんな、記憶の片隅くらいには残ってます?

  いやー、ビビるね。かれこれずっとこのブログを放置していたわけだけど、それは別に、単に忘れてたとか書くことがなかったとかそういうことじゃないってだけは言いたい。

  何度もブログを開いたし、文章を書いて、そして更新しないまま削除したり下書きに捨てたり、別のブログを始めたり、日本ボクシング連盟の山根会長が解任になったり、ゴーン社長が逮捕されたり、そんな紆余曲折を経て、気が付いたら元号まで変わっちゃってた。ビキニ環礁シンジケート、平成に取り残されてる。

  あるんだ。そんなことって。

  ちょっとブログを更新してないと元号って変わんだ。あまりにびっくりしたから俺、学会でブログを更新していない間に元号が変わったのではなく、ブログの更新をやめると元号は変わるのではないか? っつー学説を発表して、まあ、その学説は満場一致で”たわごと”に認定されたんだけども、とにかく俺が更新をしていなかった一年九ヶ月っていうのは、ひとつの学説が提唱され、否定されるくらいの長さなわけ。俺、何してたの? いや、もうね、マジでこの一年九ヶ月くらい、フレームレートが低過ぎる。約600日だよ。14400時間。その間に思い出せる出来事、5つくらい。

  いまや iPhoneでも60fpsで動画撮影できるわけじゃん。1秒間に60コマもあんのに、俺の一年九ヶ月は5コマ。0.00000009645061728fps。なにこれ? 死んだ星?

  なんかさ、ここまで放置してしまったからには再開する時は好きな人について書くべきだと思ってたし、じゃなきゃ再開する意味なんてないじゃん。だってそもそもこのブログのコンセプトは好きな人についてで、このブログの更新を楽しみに待ってくれている御方々(がもし居れば)には申し訳ないけれど、どこまで行ってもここは俺の自己満足と自己表現の場でないといけなくて、そして他人のことを無許可で書き連ねている以上、それは無価値でなくちゃダメなの。

  で、そういうことを考えながら、少し昔話になるけど、ちょうどこのブログの更新をやめた頃、ふと思い立って、もう二度と好きな人に好きだの付き合ってくれだの伝えるのはやめようと決めて、でもそう決めたら俺、好きな人と話すこと、何もなくなっちゃった。

  たぶん、どこかの記事で似たようなことを既に書いてると思うんだけど、すべての事象がまるっと全部、好きな人という枕詞から始まっているし、この世界のあらゆるものに好きな人という修飾語がかかっていて、まるで自分がキブラコンパスにでもなったみたいに当たり前にそうしてたもんだから、話すことがなくなることに気付いた時、すこし好きな人と距離を置くことに決めた。

  更新をやめている間にこの『ビキニ環礁シンジケート』は開設から二年半が過ぎて、アクセス数の総計もゆうに十万を超えて(!)、片思い自体も当初想定していたものよりも多くの時間と人を巻き込みながら三年以上が過ぎた。

 えっと。あのさー。

 全然褪せねー。距離を置くとか意味ねー。

 いや、もうさすがに、一年九ヶ月前と全く同じ気持ちとは言わない。けどさ。けど、チャンピオンの席にはずーーーーーっと同じ人間が当たり前みてーな顔して座り続けてて、それにはもはや片思いと呼べるような純度はないし、どこが好きかなんて結局ほんの一瞬もわからないまま、からっからに乾いた好きな人の残滓みたいなものだけで他の人たちを圧倒し続けてる。

  正直こちとら完全に飽きてんの。片思いに関して言えばもう百パーセントで飽きてる。なんか片思いも数えで三年が経つとわかってくんだけど、あれなのよ、片思いって名前があって特別な日々みたいな振りをしてるけど、実態は”無”なの。これがたとえば付き合ってればその恋人と喧嘩したりどこかへ遊びに行ったり、何ヶ月記念だねーつって普段なら会わない曜日にお互いの時間を合わせたり、そうやって[交際ステータス]限定のイベントがあるんだけど、片思いってそういうのが何もない。THE 日常。

  片思いの素人は、恋そのものが世界に色をつけて人生を彩ってくれるでしょ、恋に相手の気持ちなんて関係ないみたいなことを言うかもしんないし、まあ、俺も過去にはそんな机上の空論(ロマンティックセオリーオンザデスク)を語っていたんだけど、けどさ、いや、たしかにそうなの。序盤戦はそう。恋をするとそれが片思いだとしても、はじめは世界が見違えるように輝いて見えてるもんなんだけど、ただなんだろね、ずっと輝いているとさ、こう、なんつーか、慣れてくるっていうか、ちょっと理科の話になるんだけど、明順応? 知ってるかな?  えっと、トンネルから出た直後のあれね、恋にも明順応があんの。

 特に何かを積み重ねるわけでもなく、好きな人との思い出や絆が深まるわけでもなく、ステータス画面に表示されてる関係性はただの友人で、この期間に増やせるのは恋愛ゲージとは関係のない友情ゲージ。好きな人との友情ゲージはとうの昔にカンストしてるもんだから、俺がしてるのって、進化し損ねた100レベのポケモンを連れて四天王を周回してるだけなのよ。経験値も貯まらず、四天王を倒せた感動もないまま。だれか助けてくれよ。

  去年とか一昨年の記事を読み返しても懐かしさとか全くないの。なぜなら完全に同じだから。なにか順位に変動があったり、チャンピオンの座を揺るがすような白熱した防衛戦とかがあれば、あの頃の気持ちを今と比較することで俯瞰して見れるのかもしれないけど、ずっとあの時のまま、FPP視点で恋をし続けている。

    悲しくなれないくらい、もう、好きな人のことが好きで、同時にそれを諦めてる。

  ってことを一年半くらい前にこのブログで書いてたんだけど、百パーセントでもって同じ気持ちでびっくりした。好きな人が俺のことを全然好きじゃないという事実なんて、それごときでは俺を少しも悲しませて損なわせることはできないし、それくらい好きな人のことが好きだと諦めている。これ、俺読み返してなかったら、完全に同じ内容の記事を書くハメになってたと思う。新しい記事を更新しました! つって一言一句同じ内容の記事を更新してたと思うもん。ブログの記述通り。なにこれ?  ゼーレのシナリオ?

    俺はこの『ビキニ環礁シンジケート』という裏死海文書を手にしているからこの恋の結末なんて当然知っているし、どこかでそれでいいから終わってくれーなんて補完されることを他人事みたいに望んでるんだと思う。正しいことをしなければ報われてはいけないのに。なんか、今までの俺って、気持ちを伝えるのはストレートだとストレートなほど良いと思ってて、気になる人ができた時には、あなたのことが気になっているのでこれからは頻繁に誘ってもいいですか、という旨を常に伝えてきた。

 なぜかっていうと、俺が理想とする男性像はミッキーマウスで、判断に困った時、選択を迫られた時、俺は常にミッキーマウスが選びそうな方が正解だと思って生きてきた。それを正しく選べたかどうかはさておき、友人から悩みを相談された時、ミッキーならたぶん手を握りながら何も言わずにうなずいてパーティに誘ってあげるだろうし、上司にトンチンカンなことで怒られた時もきっとミッキーは逆ギレなんてしないし、うじうじうだうだなんてしない。僕らのクラブのリーダーは、長く付き合ったミニーとのもう何回目かもわからないデートの日、行くところがないからといってラブホに直行なんてきっとしないに違いないと、そんな風に考えてきたし、正しい方を選べた時はだいたいグッドエンディングを迎えられていた。

 なのに今回はそのミッキーマウスメソッド(通称:MMM)がまるで通用しない。なぜならミッキーは片思いをしたことがないから。ランナーズハイの先の、感情の死みたいな片思いをミッキーはきっとしないだろうし、たとえばミニーが死んじゃったりしてもミッキーはきっと想像すらできない魔法でミニーを生き返らせて、必ず最後はハッピーエンドにしてしまえるんだと思う。俺もそんな力が欲しいよ。諦める方法も全うする方法もなくて、陸上に上がると自重で死ぬ深海魚みたいに片思いっていう深海でじっとしながらただただ待ちぼうけてる。

  ま、そんなわけで、今回の更新はとりたてて特に何かがあったり、書きたいことがあったわけではないんだけど、好きな人のことを好きでなくなったわけでは全然ないっつーことを2019年中に書き記しておきたかったってことと、早くタイの洞窟にいた少年たちみたいにそこから救い出してくれっつーことをお願いしたかったの。

さようなら、いままで魚をありがとう

  ちょっと急な話になんだけど、この度、自分、プロフェッショナルになりました。いやー、ここまで足掛け二年。すまん、これからは名前の下にPROの文字が嫌でも煌めいちゃうわー。ほんとは嫌なんだけどなー。

Progress

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  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

  あの、これからはProgressを聴きながらこのブログを読んで欲しいし、俺のことは円谷プロみたいな感じで、気軽に踊り子プロと呼んで欲しいんだけど、まあまあ、いきなりこんな話をしてもプロじゃない人たちも居るしね、ちゃんと今から説明してあげます(笑)

 俺がこの「ビキニ環礁シンジケート」を更新してるはてなブログというサービスには、数々の審査や厳しい認証基準を満たしたブログだけが申請できるPROモードがあるんです。これを使うためにはPROブロガー三人以上からの推挙があって、はてなの役員会で内容や影響力がプロとして相応しいかを審議され、且つ、最終的には国会での承認を経て資格が付与されるという流れ。

  PROを冠することはすべてのはてなブロガーの夢そのものであり、そこから見える景色は文字通りのエルドラド。プロフェッショナル、っつー言葉からもわかる通り、有象無象のブロガーたちとは一線を画する存在で、時として書く文章はそのまま研究対象や芸術作品として扱われるわけよ。まあ、つまり、ここがそう。

  で、そうやってプロになって実際問題なにが変わんのかっつーと、いろいろな機能が拡充されるんですよ。一番大きな違いはアフィリエイトやアドセンス広告を貼って、自分のブログでお金を稼げるようになる。

  たとえばうーん、俺が、これめちゃくちゃ良い~! 美肌効果がヤバイっっ~! 残り1kg限定〜!  急げ〜!  とかなんとか適当なことを言いながら反物質を紹介するとすんじゃん。したら狂った金持ちのババアが、こ、こ、こ、これは買い〜〜!  買いナリ〜〜!  みたいな感じで購入してくれると思うんだけど、実は反物質は1gで5,000兆円くらいするので、仮にそのうちの1%が俺に還元されるとしても、もう、これだけで5京円が稼げる計算になるっつーわけ。アフィリエイト凄過ぎ。

  現在、世界には食糧不足で苦しんでいる人たちが約8億人いるんだけど、5京円あれば、この人らを全員連れて叙々苑で5000回焼肉が食べられるからね。俺は、そういう、YouTuberになるのが、夢。

 お金を稼ぐもう一つの方法としてはクリック単価があるんだけど、さっき文中に国連WFPのリンクを挿入したじゃん。こんな感じで自分の好きな広告を設定すると、どうやらアクセス数に応じてお金がもらえる制度があるらしい。俺は広告なんて設定するつもりはないからアレなんだけど、自分の意思一つで国連の広告をも貼れる立場にいるっつーこと。これってつまり、国連がスポンサーってことじゃん。これヤバくない? だって見たことある? 国連のCM。っべーわー。っべー。

  これはちょっと本当にすごいことですよ。どうしよっかなー。俺はもうアマチュアじゃないからさ、今までみたいに好き勝手に発言はできない。「ノブレス・オブリージュ」と言って、高貴さには責務が求められるし、各分野のプロが後輩育成のためにボランティアで指導したり、そういった業界全体を盛り上げるための活動もしていかなきゃなんない段階にキテる。

 プロ棋士が将棋道場へ未来の名人のために指導対局するのと同じように、アマチュアの方々、おっとすみません、失礼な言い方でしたね、インディーズの方々のブログへ行ってアドバイスなんかをするべきだろうし、けどあれだなー、それも親身に手取り足取り教えるのは却って品がない、格好悪いみたいなのってない?

 たとえばプロ棋士は、サインとかメッセージを書く時って、大切にしてる座右の銘なんかを揮毫して添えるんですよ。有名なのは升田幸三の「新手一生」や羽生善治の「玲瓏」、谷川浩司の「光速」とかとか。それすげー格好良いじゃん。俺も、必要なのかな、って。揮毫。今までは、インディーズの方々の記事にコメントとかする時は、「お初です! 記事読ませていただきました! すごく面白かったです!」みたいな感じだったんだけど、なんせ自分、プロ、だから、これからはそういう媚びた振る舞いって却ってよくないから。揮毫する言葉は決めてある。「感想龍コメントドラゴン」これ一本で行く。解釈はお前らに任せる。

 で。で、だよ。まあ、そんなこんなで、今から本題へ入ろうと思うんだけども、あ、うん、実はまだ始まってない。驚くべきことに今までのは全部枕で、これからが本文なんだけど、あの、お酒の話をしたいんです。

  なんか飲み会とかでセクハラしたり暴言を吐いたり、あとはなんだろ、泥酔して粗相をしてしまうみたいな人いるじゃん。あん時って周りも、あの人はお酒が入ると変わるからねー、とか、酒の席でのことだから、みてーな、まあまあ仕方ないよね、的な感じの雰囲気になって、許さざるを得ない、みたいな。

  仕舞いには本人が、昨日はごめんネ。酔っちゃってて記憶ないわー、みたいな感じで言い逃れしようとしたり、あれはノーカンね、みたいな感じでさ、それを責めたりすれば最後、えっ普通にお互い様じゃない?  なにマジになってんの?  なんならこっちも頭痛いし被害者みたいなもんなんスけど?  的なことを言ってきて、したら被害者も被害者でさ、そんなのこちとらお前が酔ってるとか関係ないんだよ、酒を言い訳にすんな、みてーなくだらない2ページくらいの漫画を描いてツイッターに載っけて「少しでも伝わって欲しい」みたいなコメントと共にそれがウン万リツイートされて、もうほんと、ここは地獄か?

  ちょっと待って欲しい。落ち着けってみんな。一回ちゃんと考えようよ。話し合えば分かり合えるって。みんな同じ人間じゃん。「酔ってるから仕方ない」派の気持ちもわかるよ。俺すげーわかる。判断力が低下するし、アルコール特有の高揚感と一体感ってたしかにあんもんね。楽しいよ酔うことは。「酔ってても関係ない」派もすげーわかる。大丈夫。俺すげー寄り添ってるよ。超えちゃいけない一線はあるもんな。酒のせいにして許されようとする奴って最悪だと思う。けどさ、あの、それ両方さ、大間違いだよバーーーーカ!!!!!!

  仕方ないとか関係ないとかじゃなくて、酒を飲んで失敗したら、あのさ、シラフの失敗よりも罪は重いよ。普通に。いや、車の運転で考えて欲しいんだけど、同じ事故でも飲酒運転なら罪はめちゃくちゃ重くなるじゃんか。なら、昨日は酔ってたからセクハラしちゃってごめんネ〜(笑)  なんて言われたら「ならてめえ、なおさら悪質だろうが」って反応が正しいんです。だって警察はそう言うし。

  事故現場に来た警察に向かって、許されようと「いや〜ちょっと酔ってて記憶ないわ〜」なんて言うやつ居る?  普通の神経してたら自分全然酔ってないッス、お酒なんて飲んでないですケド、って顔をすんじゃん。

  したら本来は「課長〜昨日酔い過ぎですよ〜ほんと私のお尻触ってきたり大変だったんですからね〜」「いや何を言ってるんだ君は。私はあの時酔ってなどいなかった。完全にシラフだったんだよ。烏龍茶だけを飲んでいて、はっきりとした意識のもと君のお尻を触ったのだ。さあ逮捕してくれ」っつーのが本来あるべき流れなんです。こうじゃなきゃおかしい。

  も一つ言うと、セクハラをされた瞬間、された人は袋に息を吐いてもらって呼気中のアルコール量を調べるべきだと思う。0.15mg以上で酒気帯びセクハラだし、足元がおぼつかないとか呂律が回らないみたいな状態なら酒酔いセクハラで、間違いなく即実刑。

  ちょっと考えてほしいんだけど、飲酒運転の車にシラフの車が後ろから突っ込んだとしても、事故の責任は飲酒運転をしていた側にも認められるわけです。過失割合でいうと2割くらい上乗せさせられる。

  つーことはだよ。仮に自分は一切お酒を飲んでない状態で課長にセクハラされたとして、その瞬間ビール瓶で課長の頭をぶん殴ったとしたら、これはもう、仮に相手が死んでしまっても半殺しくらいの判決で済むのよ。相手の飲酒で2割、過剰防衛で3割くらいは減刑されるはずだし。

  半殺しならうまくいけば傷害罪くらいになりそうだし、初犯なら罰金刑で済むんじゃないですか?  知らないけど。さすがに課長を殺して罰金刑で済んだ奴がいる職場で、今後セクハラする奴は現れないだろうし、飲み会でお酒を飲む奴も居なくなるんじゃない?  わかる?  これがライフハックっつーの。

  あと、これでいくと、俺は飲み会では基本的にお酒は飲まないから、酔ってる女の子のおっぱいくらい揉んでも無罪になるべきだと思う。酔ってる側は常に悪いから。お酒飲んでたんだし仕方ないかーみたいなさ、酔ってたならノーカンだよねーつって、いや、たしかに揉まれる側に過失はないのかもしんないけど、ま、酔ってるならどっちもどっちじゃねーの?  次の日になったら、昨日は酔ってたからセクハラしちゃってごめんネ〜(笑)っつーラインを送るから、それで酒の席のことは全部水に流そ。

夢の中のぼくの拡大する街

「涙」

  最近にわかに涙もろくなった気がする。つーか涙を流すタイミングや理由がガラッと変わってしまった。感動した時、悔しい時、悲しい時、そんな折に涙を流すことへの抵抗感がどんどんと薄れていってる気がする。女の子って誰かに怒られた時とかに、泣きたいわけじゃないのに勝手に涙が溢れてくる、みたいなことを言うじゃん。今ならそんな心のバランスの取り方もなんとなく理解できる。

  この間、朝まで仕事の人と飲んでいたら突然レイトショーへ行くことになって、その時観た映画は特別泣ける内容ではなかったんだけど、その人は気持ちいいくらい号泣していて、まあお酒が入ってたこともあるんだろうけど、映画が終わったあとに、すっきりした、と恥ずかしそうにしてて、その時に、ああこれは自慰なんだ、って腑に落ちた。

  たった数cc分の体液が自分の精神状態に大きく作用するってことは男なら誰でも知ってることで、感情的になった時のその効用もよく解ってる。なるほど。そういうことだったんだ。したら俺も恥ずかしがらずにちゃんと涙を流してこればよかった。汗や精液みたいにスポーツと割り切って、気持ち良さのためだけに涙を流してきたかった。

  男が泣いちゃうなんてそんな恥ずかしいことないっしょー、なんて思ってたけど、心のバランスの取り方を意図的に選べるのなら、涙を流すって方法はかなり、なんというかかわいらしい方だし、まだ場所を選ばないのかもしんない。上司に怒られてる時にスクワットやオナニーなんて始めるわけにはいかないんだし。


「やさしい男の子」
  むかしむかしあるところに心優しい男の子が住んでいました。人々は悔しいことや悲しいことが起こると、いつもその男の子に話を聴いてもらいに行って、その度に男の子は自分のことのように心を痛めて、いつまでも一緒に涙を流しました。

  すると人々は落ち着きを取り戻して、男の子に「ありがとう。きみは本当に優しい人だね。また悔しいことや悲しいことが起こったら必ずここに来るよ」と言って、晴れやかな気分で帰っていきます。人々は男の子に話を聞いてもらうことで相手を許すことができましたし、落ち込んでいてもすぐに立ち直ることができました。男の子のおかげでみんなは幸せに暮らすことができましたし、それは男の子にとっても幸せなことでした。毎日毎日、誰かが男の子のもとを訪れていました。

  ですがそんな日々がずっと続いていく中で、男の子はだんだんと悲しさに慣れていってしまい、人々の話を聞いても自分のことのように心を傷めることも、そして一緒に涙を流してあげることもできなくなりました。そんな男の子に対して人々は「きみはなんて酷い人なんだ。二度とここには来ない」と心無い言葉を投げかけては帰っていきます。

  ついに誰も男の子のもとへ訪れなくなり、行き場のない怒りや悲しみはいつまでも人々の心の中に残り続けました。

  街では喧嘩が毎日のように起こり、そしてそれはどんどんと大きな争いへと広がっていきます。そうしてみんながみんなのことを嫌いになり、人っ子ひとり居ない寂れた街の、誰も訪ねてこなくなった静かな夜、男の子は初めて独りぼっちで泣きました。


「かわいさ」
  かわいいってことはかなり手強い。かわいさは指摘される度、自覚する度に高まっていくものらしくて、一旦かわいくなってしまうともう簡単には手が付けらんない。

  俺はよく人にかわいいねって言うんだけど、この間、かわいい職場の人が普段と違うふうに髪をくくってたから、いつもみたいに何気なくかわいいですねって言ったら、もっと言ってください、って笑って返されて、めちゃくちゃびっくりしてそのまま飛び上がって天井に突き刺さった。自分が今何を言われたのか全く判らなくて、ようやく理解した時には感動すら覚えた。

  ああ、かわいい人はかわいいと言われ慣れることで、よりかわいくなってしまうのか、と。

  他にも、たくさんお金掛けてるからですよ、と冗談っぽく返してきた人もいた。こういう気持ちの良い返しをされるたびに、俺はそれをこっそりとメモをして、秘蔵のコレクションに加える。そしてその洗練された返答に至るまでの道のりを夢想する。今までに何百回、何千回もかわいいと言われ続けて、その度に彼女らのかわいさは研磨されていって、異性から求められ続けてきた人だけが醸し出せるコミュニケーション論の匂いがまた別の男を婀娜やかに訴求する。

  切った髪を褒めた時に、ノイズさんに褒めて欲しくて切ったんです、と言ってきた人がいた。目眩がする。何万回褒められたらこんな台詞がさらっと出てくるようになるんだ。仕草や言葉一つでその人が今までにどれだけモテて、言い寄られてきて、下心の放射性に歪められたかが、なんとなく伝わってしまう。それがたまらなく楽しい。

  俺はよく人にかわいいって言う。少しでも相手のかわいさに寄与できるように。

  ところでこの人と一緒に営業先へ行ったことがあって、なかなかまとまらなかった案件をたまたま俺が無事にまとめられてさ、その帰りに、ありがとうございました!  すっごく格好良かったです!  って言われたんだけど、俺、その時思わず、ヌッ、って言っちゃった。ヌッ、って、何?

「彼女」

 彼女について書いてほしいと言われたので書きます。ここではミヤタっつー仮名で何度か登場してるんだけど、杏仁豆腐とカレーと肉とすみっコぐらしが大好きな人です。

haine.hatenablog.jp

haine.hatenablog.jp

 彼女ってすごくイカしてるの。去年の年末、ここには書いてなかったんだけど白川郷へ行って、泊まったホテルに朝食バイキングがついててさ。ミヤタそこで、カレーの中にスクランブルエッグとソーセージを入れて席に戻ってきたんだけど、俺、すげー嫉妬した。こいつは見てる景色が違うんだ、って。なんか普通バイキングって、自分の好きな食べ物を山盛りもってくるか、こう、きれいに盛り付けて写真とか取るパターンのどっちかじゃん。

 女の子とかって特に、しかも彼氏の前だよ、彩りとか考えてちょっとずつお皿に盛ってさ、どうしても唐揚げとかが食べたいときは、彼氏のお皿から「一個も~らいっ!♪」みたいな感じで横取りするもんじゃん。

 じゃなくてたとえばサバサバ系のさ、あたし中身おっさんだからぁ、みたいな子とかなら、自分の好きなものを好きなだけとってきたりするだろうけど、いずれにしてもバイキングの楽しみ方ってそれくらいのもんじゃん。メニューの中から選ぶじゃん。

 でもミヤタは違うんだよね。ココイチ。バイキングをココイチと捉えてる。カレー以外のおかずをトッピングと思ってて、しかもなんか、今日の私はとことん冴えてますヮ、みたいな顔でちらちら俺の様子を伺ってくる。俺もミヤタのそのクリエイティビティに当てられて、羨望の目を向けながらミヤタすげーミヤタすげーって思う。

 ならミヤタも満足げにエッグソーセージカレーをぺろりと平らげて、おかわりしてきます、つって席を立ってさ、したっけ、おいおいミヤタ、次は一体どんな魔法を見せてくれるんだ、クリエイティビティを発揮してくれるんだ、って俺までドキドキしちゃって、なんか自分のお皿に乗った何の面白みもない食べ物たちが急に恥ずかしくなって、だから急いで食べ終えて待ってたんだけど、ヨーグルトの上にイチゴジャムでサンタクロースの絵を描いたミヤタが戻ってきて、見てー! ちょっと早いけどメリークリスマスー!  って、そのままカバンからプレゼントを取り出してくれた。俺はまた羨望の眼差しでミヤタすげーミヤタすげーってなって、それをメモして、秘蔵のコレクションに加える。

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「恋愛相談」

 はじめまして。いつも楽しくブログを拝見しています。突然ですが、私もノイズさんと同じように半年くらい片思いをしている人が居ます。
  ですがここ最近は倦怠期というか気持ちが落ち着いてきて、好きという思いが急速にしぼんでいっているような気がします。知り合いから大丈夫だよ頑張ろうと励まされても「どうせ無理だし」「無責任にそんなこと言われても」と腹が立ってしまい自己嫌悪に陥ります。
  ノイズさんはどのようにして好きという気持ちのモチベーションを保っているのでしょうか?やはりノイズさんにもテンションの波などはあるのですか?
長文失礼しました。次の更新をいつも楽しみにしています。ノイズさんの片思いがうまくいきますよう陰ながら応援しています。

 ブログに載せてもいいということで真面目に答えますけど、普通に諦められるなら諦めた方がいいと思いますよ。俺の話だとモチベーションを保つための努力みたいなのは一切ない。むしろ、いつ片思いをやめられんだろうね、って毎月のように言ってる。長期間の片思いって、たぶん、迷惑そのものだし。

  正直、この相談を読んで、あの、悩んでる人にこんなこと言うのはあれなんだけど、それって最高じゃん、って思っちゃった。特に喧嘩したとか幻滅するような何かがあったとかじゃないのに、好きという気持ちがだんだんとなくなってきたんでしょ。それってかなり理想に近いパターンじゃない?

  だって考えてみて欲しいんだけど、それって見方を変えれば「この人のこと好きかも……」と気付いてドキドキしてたさ、恋の一番最初の時と全く同じ状況にあんだよ。仲良しと好きの狭間で悩んでんでしょ。一番楽しいとこじゃん。これって恋のトロの部分じゃない? かーーー羨ましいーーーー。大将! トロもう一貫!

  ほら、俺の好きな人ってマジで最高だからさ、俺が片思いしてても内心はどうかしらないけど、いつも通り、そりゃもう憎いくらいにいつも通り接してくれるんだけど、しかもそれももう一年になんの、こんなのってほんとレアケースなんじゃないかな。普通は疎遠になるか不可逆的な関係になって終わるでしょ、セフレとかね。ほんと早いうちにやめた方がいい。片思いより友達としての方がはるかに楽しくて有意義な時間を共有できると思うし。

  片思いについて不肖な俺から言えることはあまりないんだけども、一つだけ、知り合いが何の根拠もなく応援してくれたり励ましてくれるのは、あなたの事を思っての百パーセントの善意なんだから、すべてが片付いたときには許して感謝しておやり、ということ。その人たちはおそらく、好きな人よりもあなたに寄り添ってくれている人たちだしね。

 あと、これは本題とは関係ないんだけど、急に恋愛相談を送ってこられるとびっくりするから、マジで控えてほしい。最初、嫌味かと思ったもん。落ち着いてからでいいから自分の書いた最後の一文を読み返してほしいんだけど、人には「腹が立つ」とか言う割には自分も同じ事やんだな、っつー感じだよ。なあ。

  あ、なんか腹立ってきたわ。冒頭で「諦めた方がいいです」みたいなこと言ってたけど気が変わった。お前も果てまで来い。絶対に途中で投げ出すなよ。失敗しろ。いいか、人に意見をもらってうまく立ち回ろうなんて二度と考えるなって。俺もしたんだからお前も同じ失敗をしろよ。それがフェアってもんでしょ?

  な。頼む。頼みますわ。なあ凛花。ごめんな名前出しちゃって。けど俺悲しいんだ。凜花が賢く振舞って、器用に生きていく姿なんて見たくねえんだ。なあ凛花。ズルすんなよ。それはズルだよ。俺と同じ過ちをそっくりそのままなぞれって。頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む。

  好きな人に恋愛相談して他人事みたいにアドバイスされる沼で、そこの泥をすすって生きようや。俺の言ってることわかる?  伝わってるか?  なあ凛花。俺は今、お前に言ってるんだぞ。つまりさ、自分の名前のLINEスタンプを好きな人にプレゼントして、それを一度も使ってもらえないっつー経験をしてからまた相談に来てくれ、ってことを言いてえの。好きな人に「凛花に送る専用スタンプ」をプレゼントして、それを完全に無視されてからまたここに来い。そん時は、俺、すげー優しいから。

涙が蒸発する音

 俺って好きな人がいんだ。これまでも幾度となく本人にそうやって伝えてきたし、けどなんか、好き好き言われまくると一回当たりの好きのありがたみが減る、みたいなことを言われて、いやいや、好きって言葉はインフレしないだろって納得してはないんだけど、まあそんな意見もあんなら、ってことで、好きと伝えてもいい回数に自分で制限をかけた。

  制限をかけるまでは、俺の中の好きって気持ちの大きさに比例して好きと伝える回数は増やしてもいいっつー愛本位制を採用してたんだけど、やっぱ歴史ってすごいよね。昔って金本位制の他に銀本位制っつーのがあったんだけど、銀山が色んなところで見つかったもんだから銀ってあんまり価値ないよねーってことになって、一気に廃れた。それとおんなじことを繰り返してる。歴史はすごい。

  したっけ俺も歴史から倣って、というかその実態は強制、なんだけども、管理通貨制度、言わば管理好き制度を採用して、中央政府もとい好きな人のご機嫌で決められた供給量通りの好きでなんとかかんとか毎月やりくりするハメに。

 けど俺って江戸っ子だから宵越しの好きは持たないんだよね。んなことお構いなくその月の規定回数は初日で使い果たしちゃうし、好きな人は俺の好きって気持ちなんてあっという間に汲み尽くして、そうすると、回数制限があることで残りの三十日間は好きという言葉を封印して、気持ちもひた隠しにして、一介の良き友として接しなければならないんだけど、そんなわけにもいかず、毎日もう、借金借金の日々。借金っつーか借愛っつーか。

  たとえばこないださ、急にわけわかんないくらい好きという気持ちがあふれて、これはもう好きって伝える他ないぞ、つって、でもその月の規定回数は既に終わってるから銀行に愛を借りに行ったんだけど、そんなの毎月のことだからブラックリストに載っちゃっててさ、結局町の消費者愛融やら怪しい闇愛から愛を借りてね、そうやってかき集めた愛で、好きってことをありったけ伝えてほくほくしてたの。造語が多すぎない?

 でもやっぱり闇愛とかって非合法だから取り立てがすげー厳しくて、こう、返済期間が過ぎるとコワモテの男が家までやってきてドアとかをどんどこ叩いてきて、愛の返済期間はとっくに過ぎとんやぞっ!!! 借りた愛は耳そろえて返さんかいっっ!!! この愛泥棒っ!!!  つって、えっと、あの、ちょっと自分のたとえに引っ張られて世界観がメルヘン過ぎんだけど、まあそんな感じで、居留守を使ってもドアに「私は借りた愛も返さない最低な人間です」みたいな張り紙をされて、ひそひそ、あの人よ、人の愛を返さないなんて最悪ね、みたいな。

  連帯保証人の両親のもとにも取り立てが行って、愛を取り立てられた両親は離婚、それでも俺が借りた愛には到底足りなくて、ある日無理やりコワモテの人たちに連れてかれて、事務所に居た愛の元締めみたいな人から、もうええよ兄ちゃん、強制的に愛を返してもらうことにするから、みたいなことを言われて、そのまま山奥のすげー寒い小屋まで運ばれて、愛らしい動物の赤ちゃんの映像とかを延々と見させられる。

 パンダの赤ちゃんが転んだシーンとか、仔猫がせいいっぱい威嚇してる様子、ハリネズミが寝てる映像なんかをたくさん見せられて、その小屋にはうさぎが飼われてて膝の上に乗ってきたりするんだけど、夜になると専用の器具で溜まった愛を吸い取られる。ひどく悲しい。愛を吸い取られると可愛らしい動物の映像を見ても「真核生物に含まれ、一般に運動能力と感覚を持つ多細胞生物の総称」みたいなことしか思わなくなって、うさぎとかも平気で踏む。邪魔だから。

  そうやって廃人みたいになって、けどなんとか愛を返済しきって、もう二度とこんなところで愛を借りたらあかんよ、つって元締めに知らない街で降ろされて、からっぽの心と体でぼーっと、俺はなにか大切なものを喪くしている気がするな、なんて考えながらいつものコンビニ弁当と人工照明の生活に戻って、そうやって大切なものやかけがえのなさみたいなものを喪いながら月を跨いだ時、また新しい好きという気持ちとそれを伝える権利を得た瞬間、マグマみたいに熱い感情が湧き出て、それは言葉や態度みたいなものに形を変えて奔出して、そうだそうだった俺はこんなにも好きだったんだ、どうしてこんなに大切なことを今まで忘れていたんだ、今すぐにでも伝えなきゃいけないんだ、つって、そうやってまた初日で使い果たす。そういうわけで初日に使い果たすのは別に俺が江戸っ子なのが理由じゃないし、そもそも江戸っ子じゃない。

  でもそうやって伝えた思いなのに相手にはもう、とびっきり響かなくて、えっなに、いきなりどしたの、みたいなことを言われて終わって、その月の俺は欲求不満で死ぬ。いや、俺だってほんとはLINEとかで言うだけじゃなくてもっと違う形で示せるなら示してえよ、理想を言うなら好きって気持ちでハニーフラッシュを撃って、悪人を懲らしめたいと思ってる。それを好きな人にすごいね、綺麗だったねっていっぱい褒めてもらいたいし、ハニーフラッシュを撃ちたいって言うのは、まあ、嘘なんだけど、好きって伝えた時に、好きって伝えられて偉いねって褒められたいとは思う。それはすごく良いことだから。

  今はあいにくすげー寒い山奥の小屋から更新してて専用の器具で愛を吸い取られたあとだから、俺は一人でも生きていけるのだ、みたいな感じなんだけども、しかも、ここ数日の仕事の立て込み具合とたくさんの小さくて嫌なこととすこしの大きくて良いことのおかげで性欲がゼロなんだけども、それでも好きな人のことはかわいいって思う。思うんだ。俺ってさ。

  すこしの大きくて良いことの話でひとつだけ書き留めておきたいことがあって、少し前、大好きな大好きな先輩のもとへ赤ちゃんがやってきた。今年二回目の大雪が降った日の夜、うまれたよ、とその人から連絡があってそのことを知った。二月十二日、十九時二十分。送られてきた動画を画面越しに見たその子はとてもとても小さくて、本当に優しく嬉しそうに声をかけられていて、なんかそれが無性に泣けた。
 同じ週の金曜日、去年帯解寺で買った安産祈願の御守りをお焚き上げしてもらって、代わりに買った魔除けの犬のぬいぐるみと俵万智の『生まれてバンザイ』を持ってお見舞いへ行った。ミッションコンプリート。伝えたいこととしたいことの全てを込めた。大好きな人と、その人の大好きな人から産まれた子は俺にとっても大好きな人だから、その呱々の声に応えたい、と思った。

  病院の先輩の個室には小さなベッドがあって、実際に見た産まれたての赤ちゃんにはショッキングなくらいの意味の濃度を突き付けられた。他人の生きる意味を目の当たりにしたような気分だった。文字通りのかけがえのなさが寝息を立てていて、先輩によく似た鼻と、おそらく旦那さんに似ている目、そうやって愛されて半分こずつで産まれてきたその子のほっぺたに少しだけ触らせてもらって、それがメレンゲみたいにふわふわしていたから堪らずとろけた。

  赤ちゃんは最強。俺は全員の赤ちゃんのファン。ほんとに。全ての赤ちゃんが毎日幸せに暮らしてほしいし、赤ちゃんのことを想うと、あのごめん、ちょっと散らかってるけど、よかったら好きにくつろいでよ。こんな世界でごめんなマジで、って気持ちになる。世界中のお母さんとお父さんほんとありがと。せめて暖かい場所や涼しい部屋で赤ちゃんのことだけを考えて過ごしてほしい。

  お見舞いから帰ってきた日の夜、ずっと彼女と二人で「はじめてのおつかい」を観た。がんばれー!  がんばれー!  ってすげー手に汗握り合ったし、長い長いおつかいから帰ってきた子供が遠くにお父さんの姿を見つけてこらえきれなくなって泣いちゃった瞬間、近藤房之助がショゲナイデヨベイベッって歌い始めた瞬間、二人して完全に泣いた。善いものってそれだけで涙の理由になるんだ。そのお父さんも子供がおつかいから帰ってきた姿を見て泣いてるし、スタジオの人らもみんな泣いてて、彼女なんか最後の方、軽い過呼吸おこしてた。子供より泣くなって。

  でも子供より泣く気持ちもすげーわかんだ。あれって完全に大人を泣かせるための構成だし。近藤房之助はマジで良いね。歌詞とかも実はちゃんと読むと泣けるし、なによりあの声が良い。ほら、Ben E.Kingに「STAND BY ME」ってスーパー名曲があるでしょ。あれを彷彿とさせられる。あれって出だしが、ウェンゼッナイッじゃん。コラボしてほしいわ。どっちも泣けるし。近藤房之助が、ウェンゼッナイッでよベイベッつっても泣けるし、Ben E.Kingがショゲナイッ カムヒーつっても泣けると思う。面白いのでこの話もう少し続けてもいいですか?

  全然関係ないシーンでも近藤房之助がショゲナイデヨベイベッって歌い始めた瞬間、みんな反射的に泣くと思うんだ。たとえば、ほら、電子マネーの決済音にしない?  なんか、QUICPayとかWAONみたいに、コンビニとかでFuSaNoSuKeでお願いします、つって、読み込みリーダーにかざしたら、ショゲナイデヨベイベッって流れるやつ、作らない?  したら俺も泣くし、店員も泣くと思う。ぬくもりってこういうことじゃないの?

  で。あんまり「はじめてのおつかい」の「しょげないでよBaby」が良かったから観終わってからずっとYouTubeで聴いててさ、それから毎日、会社帰りとかに聴いて号泣しながらビジネスバッグとか引きずりながらママーーッッ!!!  って言いながら帰ってんだけど、したらなんか最近、「はじめてのおつかい」の陽気なバージョンの挿入歌で「ドレミファだいじょーぶ」って曲あんじゃん、だーれにもーなーいしょーでー、おーでーかーけーなのーよーってやつね、それが関連動画にあることにも気付いて、あ、これも同じB.B.クィーンズなんだ、ってその時知ったんだけど。

  あれ、でもこの曲、近藤房之助って歌ってたっけ?  女の人だけじゃない?  とか思いながら再生してみたら、なんか、曲の合間合間に、オッケェユガティとかベエエエイベィテッキミィジィとかアアアアンッッッみたいなこと言ってる男がかすかに居て、どうしたどうした房之助、お前そんなんじゃなかったじゃんって、ははんオメェあれだな、「おどるポンポコリン」を聴いてた時からかなり不信感はあったけど、さてはそっちが素なんだな、つって、したら急に涙も乾いてきて、マグマみたいな奔流も冷めていって、あっ、愛を吸い取る専用の器具ってこれのことだったんだ、つって、けど、俺は悪人を懲らしめらんないの。ハニーフラッシュを撃てないから。

日々は光って流れた

 新しい恋には新しい人がいて、その年の冬に僕がほんの数日だけした勘違いにも、その勘違いと同じくらい甘酸っぱくて眩しい人がいた。

  クリスマスにほど近い十二月の金曜日、デート倶楽部で手慰みに買った女の子は僕が指定した通りの制服を着て現れて、ウリなんてしそうもない純粋そうな顔で「日奈香。女子高生だよ」と名乗り、笑いながら「って設定。」と付け足した。

 寒いからどっか入ろうよーという日奈香に「お酒でも飲もっか」と提案して、僕が普段同僚と飲むのに使っている店からは三ランクくらいグレードの高い店へと入った。席に通された彼女はきょろきょろと店内を見渡しながら、でもすぐに行儀のよい少女みたいにちょこんと椅子に座りなおして、そのあと小声で「お兄さん、実は結構遊んでる?」と訝しげに尋ねてきた。

「実はって、モテなさそうな雰囲気なのに、ってこと?」と僕は彼女の正直な言葉に苦笑しながら聞き返すと、彼女は途中でテーブルにやって来たギャルソンがベニエやらカナッペやらとよくわからない料理の説明をし終えるのを待ってから「そういうわけじゃないけど」と言った。

「だって高校の制服を指定してくるし、しかもだよ、あたしは制服着てるのにお酒飲もうって言われて、そりゃこの人大丈夫かなって思うじゃん。なのにこんなお洒落なお店だったから」

 彼女の指摘はもっともで、たしかに制服を着させてきたくせに酒を飲もうと言ってくる相手なんて社会不適合者か、そうじゃなくてもとても女慣れしてるような男がすることではない。僕は笑いながら自分がこの通り遊んでないこと、ただ実際に来た人が想像以上に可愛かったから予定してた安い飲み屋さんを急きょ変更して来たことのない店へ入ったこと、だからさっきの店員さんの説明も実は全く意味が分からなかったこと、なんかを正直に白状した。

 日奈香はそれに対してふうんといった様子で、一応保留にしておきます、と言って、カッコつける必要がなくなった僕は、ところで注文どうしよっかと笑って、やっと彼女も「あたしも全然わからなかったけど、友達にかなっぺって居るからそれだけはちゃんと覚えてた。食べてみたい」と笑い返してくれた。

 僕たちは丁寧に料理の説明をしてくれた先ほどのギャルソンに、二人で選んだカナッペと、適当なワインと彼女の分のミネラルウォーターと、あとはよくわからないので、と一番手ごろなコースを二人分注文した。ギャルソンが気を利かせて「ではコースのオードブルをカナッペに変更いたしますね」と言ってくれて、僕たちはやったねとお互いに目くばせし合って、なんとなく二人だけの特別なコースが食べられるような高揚感の中で、彼女が運ばれてきたカナッペを写真を撮って友達のかなっぺに送信した頃にはすっかりと打ち解けあえていた。

 一口食べるごとにむふうんと漏らしながらとても上機嫌そうな彼女は、だけど急に思い出したように恭しい表情を作り直して、とても美味しいですね、なんて言って、僕はそれで笑って、そうですね、と返して、彼女もこらえきれなくなったみたいにつられて笑って、そんなふうに時間があっという間に過ぎて、ヴィアンドが終わってデザートを食べている時、彼女が「さっき言ってた安い飲み屋さんってこの近く? このあと行きたい」と突然言った。僕は冗談めかして「それは別料金?」と訊いて、彼女は「サービスに含まれておりますが、いかがいたしますか」と妙にかしこまった言い方でまた破顔する。

 店を出たあと、彼女はうーさむーと言って、ねぇお兄さんってほんとは制服に興味とかないんでしょ?  もういいよね?  お酒飲みたいからちょっと服買ってくる、と近くの服屋さんへとあっという間に入っていって、関係ないアクセサリーを手に取ってこれの色合いが可愛いとか似たようなのを持ってたけどなくしちゃったとか色々僕に教えてくれながら、そのあと何着かの服を選んで、結局、試着した中で僕が一番かわいいと言った薄いグレーのシャギーニットを買った。

「お待たせしましたっ。どうでしょうか」

「ばっちりです」

 それを聞いた彼女はるんるんとした様子で腕に抱きついて「これもサービスだよ」と僕の斜め下で笑って、それがあまりに可愛くて、僕はおそるおそる彼女を抱きしめた。僕は彼女を買う何人もの客の一人だし、それはそうだったのだけど、その時の僕はやっと結ばれた片思いの相手みたいに彼女のことを大切にしたいと思ったし、そう言うと彼女は、嬉しいかも、と照れた。

 いつも使う飲み屋さんに二人で入ってから、僕は「ところでどうして僕が別に制服フェチじゃないってわかったの?」と訊ねた。彼女は「だって私の制服姿を見た時になんにもかわいいとか言ってくれなかったし、しかもそれだけじゃなくて、一瞬、なんでこの人は制服を着てるんだろう、みたいな顔してたもん」と言って、ふつうそんなのあり得ないと僕の肩を不服そうに叩いて、僕は彼女の観察眼に驚きながらも誤解と不満を解消するための思いつく限りの言い訳を並べた。

  彼女は運ばれてきたお通しを興味深そうに眺めながら、またふうんとそれを聞き流して、「ごろごろもつ煮とビールがオススメだよ」と言う店長に「じゃあごろごろもつ煮とビール!  ビールは二つお願いします!」と僕の分のドリンクまで元気よく注文して、それだけで店長と店の常連客たちとついでに僕は一発で彼女のことが好きになったみたいで、それからはみんなが、どうしてこんな男に引っ掛かっちゃったのとか口々に質問して、彼女は「あたしの兄の知り合いだったんですよー」とか適当に話を合わせてくれて、この店はもつ煮だけは美味しいんだよな、なんて言う常連とそれに怒る店長を見てみんなではしゃいで、その隙に日奈香は「これにがーい」とビールを僕に押し付けてきて、自分は別にカルピスサワーを頼んで、それを見た店長も悪ノリして自分が飲んでたビールを僕に押し付けて「これにがーい」なんて言って、それでまたみんなで笑って、そんなふうに時間が過ぎていってようやく二人で落ち着いて話せるようになった頃、僕は忘れないうちにと彼女に小さな箱を渡した。

「はい、これプレゼント。もうすぐクリスマスだし、今日はすごく楽しかった。ありがとう」

  彼女は驚いた顔でそれを開け、中に入っていたネックレスを取り出した。

「え、これってさっきあたしが見てたネックレスだよ。いつの間に買ったの?」と目をぱちぱちさせながら言う彼女に、僕は「いい?」と尋ねて、彼女は嬉しそうに「お願いします」と言った。後ろにまわってその細い首にネックレスを付けてあげると、さっき買ったシャギーニットの上に、控えめに輝くそれがもうびっくりするくらい似合っていて、僕がそう言うと、彼女はありがとう、すごく、うれしいと一語一語確かめるように言って、自分のスマホのインカメラでそのネックレスを何度も何度も確認しながら、そのまま僕に肩にもたれて写真を撮った。

「どうでしょうか」

「ばっちりです」

 僕たちは笑ってそれからまた色々な話をした。彼女が動くたびに胸元のネックレスがちらちらと輝いて、そんなに高いものじゃなかったけど、その慎ましさがかえって彼女の優しくて少し幼い雰囲気にマッチしているようで、もう一度、ばっちりです、と言った。

 気がつくと彼女とあらかじめ約束していたデートの終了時刻はとうに過ぎて、あと三十分もすれば終電という時間になってようやく僕らは店を出た。店長はいつもより愛想多めに「またいつでも来てね」と言って、彼女はそれに元気よく「絶対に来ます」とこたえた。

  今日すっごく楽しかったーと何度も言いながらイルミネーションに彩られた街をちょこちょことした足取りで歩いていた彼女は「あのねあのね、終電までもう少しあるからあっちのイルミネーションの方を通って帰ろ」と僕の腕にまたしがみついてきた。

  デートだけの約束で買った、おそらく女子高生じゃない彼女。日奈香の降りそこねた雪みたいに白い肌と、大きくてくりっとした目と小さな口と耳、それらに最適化されたような薄化粧やまっすぐ肩へと延びた黒髪は、大人と呼ぶにはあまりにも澄んでいて、だけど子供と呼ぶには完成され過ぎていた。そして同時に僕にとってこの数時間は、彼女のことを知るのにはあまりにも短過ぎて、なかったことにしてしまうのには長過ぎるように感じた。

「実はこの仕事、今週末でやめるんだ」

  イルミネーションに囲まれた広場のようなところで、彼女は僕の複雑な思いを完全に汲み尽くしているみたいに唐突に切り出した。

「目標のお金もたまったし年が明けたら海外へ留学しようと思って」

 彼女がどんな表情でそれを話しているのかは分からなかったけど、きっと子供と大人の依羅の真ん中のような表情で嬉しそうに話しているはずで、だから、僕は大人らしく男らしく、おめでとう、とだけ言った。

  イルミネーションの無邪気さと十二月の無機質な寒さと喧騒の中で、彼女の存在だけがはっきりとしていて、声だけが輪郭を持ったみたいに僕へとまっすぐ届く。

「あたし一年経ったら日本に帰ってくるから、そしたらすぐに連絡するから、またカナッペとごろごろもつ煮食べに行こうね」

 こらえきれなくなって振り向いて見た彼女の横顔はやっぱり、思ったとおり、笑っちゃうくらいに綺麗で、湿っぽさや寂しさなんて少しもないかのように楽しげだった。僕は彼女を給料の何十分の一の値段で買って、彼女はそのお金で何百分の一か夢に近付いて、そうやって交差したほんの数時間の出会いで僕は少しだけ勘違いをした。

   彼女ともう一度会える日のことを今はうまく想像できないけれど、もう一度会えた時の彼女の顔はきっと少し大人びていて日焼けなんかもしているはずで、一緒に食べるカナッペとごろごろもつ煮は変わることなく相変わらず美味しいままのはずで、ひとまずは悪くない、と思う。

  「それは別料金?」と僕は言って、彼女はけらけらと笑いながら「サービスに含まれておりますが、いかがいたしますか」と答えた。

「またね」

  うん、またね。

「絶対に連絡するから忘れないでね」

  もちろん。じゃあね。

「また一年後に」

  胸元にあるネックレスはイルミネーションの光を反射させながら、いつまでもいつまでも光っていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日も指名した。

ひとりシュプレヒコール

  二〇一七年が冬の一日と一日の間でいつのまにか終わって、そうやって年をまたいでも何かが劇的に変わることなんてないんだけど、それでもなんとなく、個人の反省や後悔みたいなものなんか一切関係ないかのように区切りをつけてくれるその無関心さが、深まってゆく冬の寒さと妙にマッチしているみたいで年末年始の雰囲気が好きだ。

 嘘である。そんなこったぁない。言っとくけど普通にめちゃくちゃ憂鬱な時期だよ。つーのも俺は大人数の飲み会がほんとうに嫌いで、年末年始とかってすげえ飲み会あんじゃん。ほら、なんか会社全体のとか、同期だけでとか、エリアごとにとか、会計さんと合同で、みたいな、色んなことを口実にしてさ。普段は、飲み会やだねー、野蛮で怖いよねー、みたいなことを言って肩を寄せ合って震えてる数少ない同期たちですら、この年末年始とかは急に、野郎どもぉぉお!  宴の準備だぁあッ!!  みたいなノリになって、いやいやお前は善良な市民だったじゃん、海賊側の人間じゃなかったじゃん、つったら、今回は仲間だけだからッッッ!!!ドンッ!!  みたいなさ。

  じゃねえんだ。同期だけ、とかじゃねえんだわ。こちとら問題にしてるのは、どこまでも大人数で酒を飲むとかいうわけのわかんない文化についてで、構成員とかクルーの話じゃないよ。普通に海賊は仲間じゃない。寄せ合った肩返せよ。俺、海賊だけには絶対になるなって死んだおじいちゃんと約束してんだよ。

  なんだろ大人数の仲の良い同期との飲み会と嫌な上司とのさし飲みなら、俺は即答で後者を選ぶんだけど、ここで共感されることが意外なほどない。インターネットには居ないの?

  別に忘れてしまいたくなるような辛いことや悲しいことなんてないくせに、そんな気持ちになれるほど一生懸命にやったことなんてひとつもなかったくせに忘年会っつーのをやって、そのあとすぐ新年会も始まってって、いやいやいや、趣旨、一緒だよそれ。ひょっとしてみんな、マジで忘年会でその年の記憶全てなくしてんの?  怖えって。二週間前に同じことしてたよ俺たち。覚えてない?  だとしたらやばい薬品使われてるって。あれってみんなで盗んできた毒入りのビールを飲む会なの? 

  なんでそんなに大人数の飲み会が嫌なのかっつーと、まず根本的に食事って行為が、どちらかというと俺の中では排泄とか性行為みたいなシモ寄りの行為に分類されてて、いや、だって口ってあれ、露出してる内臓じゃん。大人数が向かい合ってお互いがお互いの内臓に物を入れるサマをつぶさに観察し合ってさ、その口の中では料理が絶えず分泌液と混ざり合って潰されて嚥下されてくんでしょ。げーーだよ。いやそれもまだ少人数とか、大人数でもお花見とかバーベキューみたいに屋外だったらそこまで気になんない。

  少人数の場合、多少空間を占める露出した臓器のパーセンテージが高まってもそれくらいちゃんと許容できるし、逆に大人数でも、屋外なら空間が無限だから気持ち悪さみたいなのは全然ない。あの、なんつーのかな、俺の食事のイメージって、極端に言うと『千と千尋の神隠し』でカオナシがさ、浴場やら大廊下やらで、「おれは腹ぺこだ。ぜーーんぶ持ってこい!」みたいなことを言って、よだれや噫気を撒き散らしながらご馳走を口に入れてたと思うんだけど、あんな感じなのよ。オクサレ様が千尋に向かってうごおおって臭気を吐きかけてたシーンがあったと思うんだけど、あんなニュアンスが個室での大人数の食事会なのよ。同じ理由でカラオケもキツイ。狭い空間でたくさんの口が広がる。キツイ。

  あと、それとは全然関係なく、大人数の飲み会って何してたらいいの?  っつー問題もあって、こう、少人数ならさ、役割があんじゃん、一人一人に。たとえばこの人が中心になって会話の端を作って、誰々はそれに突っ込んだり広げたりして、別の人はボケたり笑ったり柔軟に動いてるとして、したら、あ、じゃあ、今日は俺、料理を注文したりみんなのドリンクが減ってないか確認するよ、オーケーオーケー、ここの供給はまかせて、みたいな。もちろん俺が会話の中心になる場合だってあるし、ボケまくる日も、ツッコミになる日も、笑ってガヤに徹する日もある。どれもそれなりに高い水準でこなせる自負はある、大人だし別にコミュ障ってわけではないし。

  ただそれって大人数だと成り立たないじゃん。はじめのうちは大人数でもなんとかかんとかこれまでの経験と計算で場を読んで対処すんだけど、酒が進み場がカオスになるにつれて、だんだんと並行処理が追い付かなくなって、その結果、めちゃくちゃに帰りたくなる。

  ちょうどほら、漫画とかで主人公の攻撃をパソコンとか叩きながら軽くあしらう系のインテリキャラいんじゃん。そいつが戦いの中で成長していく主人公の攻撃速度にだんだん反応できなくなって、こう、頬にかすり傷とかを負い始めた時に、ば、馬鹿な……この僕に傷を付けるなんて……たしかにあいつの攻撃パターンは読み切っていたはず……僕が計算ミスを?……いや……そんなはずはない……ならば奴の反応速度が僕の計算を……わからない……次はどこかッ……つって最終的に死ぬみたいな感じで。

  けど俺だって、ただぼやっと指を咥えてやられるのを待ってたり、こうやって文句ばっか言ってるわけじゃなくて、ちゃんと対処法を編み出したりはしてたの。大人数の飲み会に連邦制を導入して、たとえばそれが二十人の飲み会だとすると、一州五名の地域が四ヶ所存在してると仮定する。その各州にざっくりとした飲み会における役割を与えて、各州の構成メンバーにはその州内でのみ有効な役割を与えることで、個々の役割がより明確にできるようになった。この発明によって俺はノーベル平和賞と経済学賞を四つずつ受賞して、著名な経済誌であるフォーブスは「二十一世紀における最も偉大な3つのiの発明」として 「iPhone」「iPS細胞」とともに「introduction of the federal system in the drinking party(飲み会における連邦制の導入)」を挙げてくれたし、アメリカやカナダ、スイスなんかの国々は俺に倣って連邦制を政治に組み込んだ。

  とにかく。そうやって俺は飲み会全体としてはガヤ州に属し、その州の中では注文議員としての地位を持つみたいなことが可能になって、大人数の飲み会なんてもはや怖くはなくなった。散々、今までボッコボコにされて満身創痍つー感じだったんだけど、それすらも伏線になってたみたいに、こう、落ちてた眼鏡をかけ直して、さて……データは集まった……反撃といこうか……!  みたいなね。

  俺はただガヤ州内にドリンクや料理が適切に供給されているかだけに気を配ればいいし、あとはガヤ州がガヤガヤとした雰囲気に包まれてさえいれば飲み会全体としても問題はない。そこにはちゃんと自分の役割と存在意義があって、それを全うする過程で、俺はちゃんと飲み会に馴染めている、という安心感を得られるわけ。

  データさえ集まりゃ、自分の役割さえ同定できりゃあとはこっちのもんで、反撃用のBGMも脳内で流れ始めて、けどさ、これじゃ、全然ダメなの。大人数の飲み会には居んだわ。一人や二人気の利く女が。この気の利く女が本当に厄介で、俺はこれまでに何度も何度も苦しめられてきてて、なんか、たとえばいきなり遠くから、そっちのドリンクは大丈夫ですかぁ〜?  みたいに気を効かせてきたりとかしてさ、そんなの、あの、パスポートはお持ちですか、じゃん。ここ一帯のそれは俺の役割なんスけど、みたいな。なのに周りの奴も、おっ、○○ちゃんは何飲んでんの?  じゃあ同じの飲もっかな、みてーなことを言い始めて、突然まだ半分以上残ってたはずのビールをがーーーって飲み干して、気の利く女も、わあすごい飲みっぷりですねー!  すみませーん!  これと同じのくださーい!  っつー感じでさ、この瞬間、俺はぶつぶつと、これは何かの間違いなんだ……僕の計算は完璧だったんだ……って、心が壊れる。

  いや、勝手ながーーーっをやんなって。そんなパターン今までなかったじゃん。勝手にデータ外の動きをやるなよ。百歩譲ってがーーーっをするにしても、本来筋を通すなら、すんません、今から勝手ながーーーっやるんでノイズさん、注文は任せます、でしょ。その気の効く女は隣の州の人間なんだから厳密に言うと一緒に飲んですらない、言わば、別テーブルにいる知らない客なわけ。そんなやつが突然話題を振ってきたり、こっちの話に笑ってガヤを入れたり、注文を勝手にしたりすんのはさ、外交問題じゃん。とくにあれ、その中でも特に最悪なのは、そっちにあるお刺身こっちに回してくださーい!  みたいなやつ。それは憎しみしか生まねえって。それをやったら別テーブルの知らない客じゃなくて明確な敵国だよ。

 あとさあとさ、バーベキューとかでもさ、俺って役割欲しさに火を起こしたり、野菜を切ったり、皿を洗ったりって率先してやってて、それなら誰に話しかけなくても話しかけられなくても仕方ないじゃん。だって役割があるから。ほんとは俺だってみんなの輪の中に入って楽しく喋っててーよ? けど役割があっからさ。これさえなかったら今頃輪の中心で爆笑かっさらってみんなの羨望の的だったんだけど、なにせ役割があっから、つって。見栄と保身で塗り固めて、楽しくもないけど最悪でもない、みたいなとこに閉じこもってできるだけ気配を消してんだけどさ、ここでも気の利く女は目ざとく俺に気付いて、突然にょにょっと近付いてきて、ずっとしてくれてるし私代わるからみんなと話しておいでー、ほんとありがとねーつって。その瞬間、WANDSが頭の中で「大都会に僕はもう一人で 投げ捨てられた空カンのようだ」って歌い始める。

 いや、優しいなとは思うよ。こいつすげー気が利くし良い奴なのなって、なんならちょっと好きになるかもしんない。けどさけどさ、その優しさ、使いどころを間違えたら凶器になんだぜ、って言いたい。こんな形じゃなかったらもっと俺たち分かり合えたかもな、って。

 もうそこからは地獄。役割は気の利く女に取られて、遠くの方では楽しそうに談笑してる集団がいてさ、あー今あそこってちょうど良いんだろうなー。楽しそうだもんなー、俺がそこへ入ってしまうことで絶妙な空気感が変わってバランスが崩れたとか思われたくねえし、つーかこいつ今まで一人だったの? マジで? バーベキューまできて一人ってやばくない? 誘ったやつが最後まで責任持てって、みたいなこと思われたりしねーかな。あー死にてー。やっぱ皿洗いに戻ろうかな。けどここにしか居場所がないって気の利く女に思われたくなくて、さっき、おっサンキュー助かる、みたいなこと言ってきちゃったしなー。今戻ったらあっちに居場所がなくて戻ってきたって思われるよなー、あー、未来人が過去にタイムスリップして俺の両親を殺してくんねーかな、そんで俺が今ここに存在しない未来に書き換わってくんねーかなー、つって。気の利く女とみんなの真ん中あたりでそわそわしてる。前門の虎、後門の狼。

 で、どうしようもないから悩んだ末に、人数の少ない気の利く女の方へと戻ってみて、トイレってどの辺だっけ? とか訊いてさ、普通に優しく教えられて、あー今のすげー頑張ったのになー、あ! ちょうど私も行きたかったし一緒に行こっ!  みたいな感じで、二人組、的な役割が生まれて、そのあとそのままの流れでちゃっかり横に居続けようと思ってたのに、これが最後の頼みの綱だったのに、とか考えながら、あとは言われた場所でずっと煙草を吸ってる。できるだけ空白の時間を作りたくないし。これなんの話だっけ? 懺悔?

 俺、普段はすげー明るくて誰にでも話しかけるし、すぐに誰とでも仲良くなれるし、いわゆるリア充みたいな、たぶんそんな感じで周りからは思われてると思うんだけど、それが嘘とは言わないけどさ、それは全部、上に書いてきたことを誤魔化すためにしている、消去法で選んだだけの無理だから。後手後手に回って役割のない時間を過ごすハメになるくらいなら、はじめから無理して中心的なポジションになって、そうやってみんなに話しかけまくってた方がマシってだけ。つまり一人で陣取り合戦をしてるわけ。攻撃こそ最大の防御なり、を信望してる。俺は集団の中で気まずそうにしている人を本当に救いたいと思ってるし、心の底から信頼できると思ってるし、チャンスだとも思ってる。悪い奴いねーもん、集団の中で気まずそうなやつに。

 こんなふうに絶えずいろんなことを考えながら、この年末年始のすげー苦しい飲み会の日々をなんとかかんとかこなしていって、1月8日のことです。これはちょっと忘れらんねえ日になるんだけど、相変わらず気の利く女が、そっちの方のドリンク大丈夫ですかぁ? とか別の州から言ってきた時に、コモリ君って同僚が、まあこいつはサイコパスなんだけど、ノイズ君が管理してくれてるんで大丈夫ですよ、つってくれて、つってくれてさー!!!  めちゃくちゃ救われた。あ、こいつ全部わかってくれてんだ、今までの全部見てくれてたんだ、つって、これまでマジモンのサイコパスかと思ってたごめん、誰よりも気が利くのはコモリ君、お前だったよってすげー感動して、この先コモリ君がどれほど険しくて頭のおかしい道を選ぼうと、一度だけ俺はこいつの味方になろうって心の中で誓って、たしかその週の終わりかな、なんか突然、職場で嫌われてる上司が、今日飲み会をするぞ、みたいなことを言い始めて、そん時にコモリ君、ほらこいつってサイコパスだから、俺とノイズくんは今日の飲み会に行かねェ!! 嫌だからッッッ!! ドンッッッッ!!  とかやり始めて、俺は誓いのために死んだおじいちゃんに謝りながらコモリ海賊団のクルーになったし、普通にその直後コモリ君だけじゃなくて俺まで上司からこっぴどく怒られて、これぞまさしく大後悔時代だな、つって。

すきだらけでしたみたいな話

 

haine.hatenablog.jp

  前回の記事を更新した後、色々な人のブログを読んでたらびっくりしちゃったんだけど、あけましておめでとう、みたいなやつ、みんな書いてた。あったんだ、そういうの。インターネットに。俺が他人様の文章にイチャモンつけてる間、みんなは申し合わせたかのように、今年もよろしくお願いします! だの、去年一年でお世話になった人たちを紹介します! みたいに和気あいあいとしてて、いや、俺、その新年会呼ばれてないんスけど、みたいな。インターネットってもっとこう、殺伐としたグローバルじゃなかったの? あいあいドメスティックだったんだ。いやこれちょっと、単に俺が忘れてただけでしょ、とか、そういう話で終わらせてほしくないし、誰が悪いとか、みんなが俺に謝ればそれで終わりとか、そんなふうに簡単に考えてほしくない。

 インターネットっつーとそれはもう世界中の人たちが同時に閲覧できるようになっているわけで、みんなが日本時間の1月1日午前0時ちょうどに更新したブログを現地時間の12月31日に読む人だっているわけだ。そういう人たちの気持ちを少しでも考えていたのかな、ってすごく俺は悲しかった。たとえば時差って約1,666kmごとに1時間くらいあるそうなんだけど、現に俺は今、日本から60万km離れた場所でブログを更新していて、ちょうど今この瞬間に、2018年を迎えようとしているわけ。この二週間ほんとうに寂しかった。今、60万kmって一体どれくらい離れてるんだろって軽く調べたら、月よりはるか遠くだったわけなんだけど、とにかく月と火星の間でぽつんとブログを更新してる人もいるんだからさ、そこはちゃんと看破して欲しかったし、それはインターネットを使う人の責務だと思うよ。

 そんな極端な話じゃなくても、たとえばセントクリストファー・ネイビス人の男の子がみんなのブログを心待ちにしてる可能性を少しでも想定することが出来たら、簡単に、あけまして、なんて言えないんじゃないかな。ブログを読んでその子は、ねえママ、みんなあけましておめでとう、って言ってるけど、ひょっとしてぼくだけ2018年は来ないの? と心配になってるかもしんない。ダウンタウンの浜田が差別問題で批判されてたけど、みんながしてたことも時差差別と言えるからね、これは。肌の色や国籍、時差といった本人の努力では変えられない要素を一方が笑い、もう一方が悲しむなんてあんまりじゃないか。俺があけましておめでとう、って記事を公開しなかったのは、そういう理由に鑑みた結果なんだよ。

 もうそういうことにしてくれ。実は前回の記事の各段落の初めに、あけましておめでとう、今年もよろしくお願いします、という縦読みを仕込んでいて、そのことを誰にも気付かれないもんだからぶつぶつ文句を垂れてる、なんてことはみんなにとってはどうでもいいことなんだろうし、他人の文章を無理くり解釈して文章中に遊びを見出す、なんてことをしてる文章の中に同じような文章構造を使った遊びがあったらおもしろいよね~、こ、こりゃみんな大喜びだぞ〜!!  なんてオチと遊び心は、結局独りよがりなものだったんだから。縦読み気付かれない差別を受けたよ。もういい。今更気付いたって遅いし。うちら、もう終わりだね。別れよっか。疲れちゃったよ。

 あの、まあ、こんなことはもう、今後の皆さんの、ほら、たとえば正月にみんなで楽しそうにオススメのブログを紹介とかし合ってたあれ、あんな感じでこのブログを紹介する、とか、SNSでオススメする、とか、そういう頑張り次第だと俺は思ってるから良いんだけど、そんなことより当初の予定通り、今から正月に好きな人と会った話を書きます。突然だけど忘れないうちにさ。書きてーことが山ほどあんの。

 実は実は、好きな人が正月休みこっちに帰ってきてたからちょー久しぶりに会ったんだけどさ、いやもうほんとに久し振りで。なんだろ、かるく夏秋と二つの季節を飛び越えてゴールデンウィーク以来?  みたいなさ、あまりに長い間会ってなくて、思考回路はショート寸前、つー感じで、その間なんども電話をかけては、お前タイムリープしてね?  つって、まあタイムリープはしてなくて仕事仕事の毎日だったそうなんだけど、とにかく八ヶ月振りくらいの再会、逆にいえばこのブログを始めてから俺らは一回も会ってなかったんだ、じゃあ俺は今までなにを書いてたんだよ、っつー感じだよね。

  だけど、それでも久し振りに会った好きな人はあまりにも俺の知っていた通りの、まぶしいくらい思っていた通りの好きな人のままで、いつもみたいに少しだけ遅刻してきて、相変わらずそれを白々しく笑って誤魔化そうとしてきた。

  まーその可愛いこと可愛いこと。俺ちょっとなりたくなったもん。その顔と性格に。男なのにさ。男でさえなりたいってことは、普段好きな人の周りにいる女なんてちょっとマジでなりたくて死んだりしてんじゃねーかって、軽く心配になった。

  まあ、そんな感じでね、久し振りに会って、話して楽しかった、知るも知らぬも逢坂の関、ってだけの話なんだけど、それじゃあいくらなんでもじゃんっつー、いや別に良いんだろうけどさ。ブログだし。馬鹿みたいな文量を書く必要なんてさらさらないわけだし、前回の記事のことを書いちゃったから既に二千字を超えてるんだけど、好きな人と会う、なんてブログが始まって以来の事件なんだし、克明に些細に記録しておくべきでしょ、みたいな思いもあって、ただあれだわ、こうやって好きな人のことを書き始めてからわかったけど、俺、こういうルポルタージュみたいなの完全に向いてない。いつもよりフルスロットルで話に脈略がなくなる気がする。それも悪い方へ。

  ほら、今までって自分がただ思ってることをそのまま書いてたわけで、好きな人のことについて書いててもそこには好きな人なんて居なくって、結局ただの感想文だったんだよね。主体が自分の。そういうロマン主義的な慰みに慣れ過ぎて、いきなり今日は写実主義でお願いします、みたいなノリで感じで来られるとさー、どう書き進めんの?  っつー。

  ほんと、前にミヤタのことを書いた時みたいにただ出来事を羅列するだけになる気がするし、なんだろ、へんに気持ちが入っちゃってる分、自分の感じたことと、見た光景のどっちに軸足を定めればいいのかわかんなくって、正直ちょっと混乱するというか、いや、もうめちゃくちゃ楽しかったのはそうなんだけど、そうなんだけどさ。

  たとえば好きな人が泣き崩れて、俺もその涙を拭ってやって、これはオメェには似合わねぇものだよ、とかなんとか言ってね、こう、おでこにキスとかしてさ。思わず好きな人も笑ったり、みたいな。いやこれはキモいよ。大丈夫わかってる。たとえのやつね。これはもののたとえとしてなんだけど、こういうワンハプンでもあれば俺はそこに向けて書くことができるし、けど特に何事もなく、楽しく飲んでってして、じゃあねって終わっただけだと、なにから始めてなにで終わるべきなのかがわかんなくなる。次回はボイスレコーダーでも用意して、それをノーカットで公開したら良い?

  なんだろ、とりあえず今回はダイジェスト版的な、ティザー広告みたいな感じで一部分だけを書いて、続きは出るはずのない書籍版で、っつー感じでお届けしよう思うんだけど、なんか入った店でモッツァレラチーズとお餅の揚げ出しみたいな料理があってさ、好きな人も俺もチーズが好きだからそれを頼んだんだけど、好きな人が料理を取り分けてあげるね、つって、自分のところにはチーズだけを入れて、俺の方に餅しか入れてくれなくて、俺は、おいおいおい〜!  的なことを言って二人でいっぱい笑ったりした。(ちなみにこのおいおいおい〜!  がすごく面白い)  それでその次に、じゃあ俺が今度は入れてあげるね、つって、自分のところにはチーズを入れて、好きな人の取り皿には端に盛られてる大根おろしの塊と餅を入れて、げらげら二人でまた笑ってたんだけど、その隙を突かれて好きな人に取り皿を変えられてさ、そっから解散の時までずっと、俺、泣いてた。慟哭と言ってもいい程に。

  いやしかも、もうこの流れも二十回くらい過去にしてるもんだから、もはや恒例となりつつあんだけど、その毎回が神回で、俺たちやばくない……?  仲良しが過ぎない……?  って再確認し合って、100点満点中5000京点あげあって、最高だね大成功じゃん、つって今回も。なんかお互いにお土産交換とかもしちゃってさ、最初はこれでーすなんてやって、いや、それは別にいらないかも、みたいなこと言われて、このこのー、人のお土産にそんなこと言うなよ、みたいな、げっ、思い出すだけでもう一回してえ。

  ただ、これだけはあらかじめ言っておきたいんだけど、半年振りにしたこの、おいおいおい〜!  は格別、みたいなのはマジであった。ウイスキーとかワインと同じで、今回のに関しては、別格のおいおいおい〜!  が出てた。年代物はやっぱり香りや味が違う。ほほう、今回のおいおいおい〜!  は半年ものですか、みたいな。

  ま、その場では、おいおいおい〜!  ってちゃんとやったけどさ、それがうちらのルールだかんね、でも本人には言ってないけど今回ばかしはちょっと、本気のおいおいおい〜!  じゃなかった、みたいなとこは正直ある。好きな人が目を細めながら美味しそうにチーズをびょーんって伸ばしながら食べてて、むしろ、みたいな、とこはあった。むしろ、こちら側の方が得をしてしまいました、的な優越感がなかったとは言えない。好きな人がチーズを美味しそうに食べてて、それも、俺には要らない餅を入れてやったよヘッヘッヘみたいな、計画通り、みたいなしたり顔をしてて、俺はその顔がすげー好きだなって思ったから最終的な幸福度では俺が勝ってたぜ、っつーさ。その上、餅も食えたし。

  なんか俺、そうやって飲んでる間ずっと好きな人に、好きだ、付き合おう、仕事なんかやめて帰ってきて結婚しよう、間接キスしない?  とか言いまくってて、好きな人はそれをロボットかよっつーくらい無視してくれて、俺が講じた策も作戦も全て看破してくれて、その関係性がすげー居心地良くって楽しくて。逆に気付いちゃった。ああもうこれってあれだ、俺ってとっくの昔に好きな人のこと諦めてたんだ、みたいな。未練とか付き合いたいって気持ちって本当に俺の中からなくなっちゃってて、もちろん変わらず好きなままなんだけどさ、自分から出る言葉とは裏腹にどこまでもそれらに意味なんかなくなっていて、ただのコミュニケーションの代替に成り下がって、だけど今のこの関係って俺にとってはすごく楽しいもので。

  そりゃそうだ、こんなのただのハラスメントなんだから。友達という関係と相手の人間性に甘んじて期待して、好き勝手振舞ってんだからそりゃ楽しいに決まってる。自分が太客だと思い込んでるキャバクラの客と同じ精神性だよ。けど、多分これって、相手からするとそんなに居心地の良いものではないはずで、そもそも関係としてはかなり不自然で、それも頭ではとうに分かってて、擦り切れるくらい考え抜いたことで、それでもなんとかかんとかこの不安定な関係が続けられてんのはやっぱり相手のおかげだな、つって、申し訳なさと楽しさで、帰り道、少しだけ、やり直してー今日、と思った。

  なんか好きな人と会う前に時間があったから高校時代の友達とその奥さんに会って喋ってたんだけどさ、その時奥さんに、好き好き言い続けてたらそりゃ好きなままだよねー、みたいなことを言われて、それはほんっとその通りで、好き好き言い続けるのってすげー楽なの。思考停止みたいなもんで。でも相手にも自分にも何らかを強要しないと続けらんない恋なんて、ほんとにほんとにやめるべきだわ、って感じたよさすがに。で、振り出しに戻るわけ。

  理屈はわかったからどうすればやめれんだこれ。マジでさ。なんか途中、好きな人にどんな人がタイプなの?  って訊いて、それで好きな人が、引き際をわきまえてる人、つって、俺、それ聞いて、あーもう最高だよこの人、って感じですっげー面白くてげらげら笑ってたんだけど、本当はそうじゃなかったんだよ、俺のとるべき行動って。俺の反応は本当に間違ってる。いや別に相手が本気で言ってないことくらいわかってるし、ひょっとするとマジで言ってたのかもしんないけど、いずれにせよ、空気なんて読まずにマジで心から謝るか、立ち直れないくらい落ち込むかするべきとこだったんだ。好きな人なら。友達なら尚更さ。

  いつまでこんなことしてんだろって身に沁みた。このままだとマジで相手が我慢できなくなって関係が壊れるまで好き好きやっちゃってるよ、みーたーいーなー、ね。いや別に落ち込んでるとか病んでるわけじゃないし、あの、会って話してってしたのは、そんなの全部差し引いても本当に本当に楽しかったのよ。わかんない、相手がどうだったかとかはわかんないけど、たぶんちゃんとめっちゃ楽しんでくれてたと思うし、なにせ5000京点だからね、多少の減点なんて目じゃないくらい楽しかったんだけど、俺はきちんと今の状態が期限と条件が付いた仮釈放中の身分だってことを理解しなきゃなんないし、それは大なり小なり相手の我慢の上で成り立ってるってことを正しく認識しなきゃいけない。

  そういう意味でもやっぱり会えてよかった。前に好きな人について、驚天動地の神通力がある、みたいに書いてさ、やっぱりそれは全然色褪せないままなんだけど、あ、そうだ、話は変わんだけど、俺、すげー好きで敬愛してる人がいて、その人って学生時代にしてたバイトの先輩で、もう結婚もして子供も身ごもってる人なんだけど、別に連絡なんて取らなくたってそれが当たり前だし、けどどれだけ時間を経ても、たとえ共通の話題なんてなくっても、連絡すれば再会さえすればそれまでの時間や環境なんてまるで関係なかったかのように話せる人で、俺、そんなふうになれたらって思うよ。理想形がそれ。で、そのために邪魔なものも余裕でわかる。簡単な引き算だし。俺、義務教育どころか四年制大学も出てんだし。なにより一番重要なのはさ、相手もそれを期待してるはずだったんだ、ってこと。ようやくここまで足掻いて気付いた。つーか直視できた。あのさ、恋ってバーリトゥードじゃ全然ないのね。みんな知ってた?

  いやでもちょっとびっくりするくらい楽しかったな。楽しいだろう楽しいだろうとは思ってたけど、まさかここまでとはね。いまだにご機嫌なままだもん。ミヤタに無理言って飲みに行きたいって言ってよかった。すげー勝手だけど変な意味じゃなくって、ミヤタと色々話もしたし、だけど、それでも、もし結果論が許されんなら猛烈に楽しいまま終われた夜があって良かった。今すぐ全部が変わるってわけにはいかないけど、こんな日があって、それで角度を一度だけでもつけることができれば、将来には大きな差になってるはず、じゃん。

  最後もね最後もね、終電にはずいぶん早い時間に店を出たんだけど、駅のエスカレーターで隙をついて頭を触ってたら、これはなに?  って怒られてそのまま別れてさ、終わり良ければ、でいくと今回のケースはまさに最悪だし、好きな人のハートを射抜くことはついにできなかったわけなんだけど。まあ、あの、今のはその、戌年だけに、のやつで、戌年だけに射抜く、みたいなあれなんだけど、やっぱりいいや、うん。この話はいい。あれ? そういえば今思ったけど、俺、好きな人にあけましておめでとうってちゃんと伝えてない気がする。どっちか忘れた。まあ、別に何回言ってもいいじゃんね、めでたいことなんだし。じゃあ改めて、今年もよろしくお願いします、つーことで、ここに俺の万感を込めるよ。