ビキニ環礁シンジケート

書くことが楽しい

恋の揮発性

  なんと一年九ヶ月ぶりです。

  いや、ちょっと待って。色々あるんだけどさ、まず、2018年の話していい? 全然書いてなかったから。

  大丈夫、みんなの言いたいことはすげーよくわかる。あれでしょ、もう2019年が終わるつってんのに、って話でしょ。言っとくけど俺もそう思ってるからね。それを最初に思ったのは俺だから。みんなは今更2018年の話を読まなきゃならないのか、って思ってるかもしんないけど、俺はそれを一文字ずつ書かなきゃなんだからね。いや、ほんとわかんの。たとえばさ、ラグビーW杯良かったねー! みたいな話をこのタイミングでされても今更感があんのに、俺がしたい話って日大アメフト部の悪質タックルの話とか、タイの洞窟から13人の少年が全員救出された話なの。あの、みんな、記憶の片隅くらいには残ってます?

  いやー、ビビるね。かれこれずっとこのブログを放置していたわけだけど、それは別に、単に忘れてたとか書くことがなかったとかそういうことじゃないってだけは言いたい。

  何度もブログを開いたし、文章を書いて、そして更新しないまま削除したり下書きに捨てたり、別のブログを始めたり、日本ボクシング連盟の山根会長が解任になったり、ゴーン社長が逮捕されたり、そんな紆余曲折を経て、気が付いたら元号まで変わっちゃってた。ビキニ環礁シンジケート、平成に取り残されてる。

  あるんだ。そんなことって。

  ちょっとブログを更新してないと元号って変わんだ。あまりにびっくりしたから俺、学会でブログを更新していない間に元号が変わったのではなく、ブログの更新をやめると元号は変わるのではないか? っつー学説を発表して、まあ、その学説は満場一致で”たわごと”に認定されたんだけども、とにかく俺が更新をしていなかった一年九ヶ月っていうのは、ひとつの学説が提唱され、否定されるくらいの長さなわけ。俺、何してたの? いや、もうね、マジでこの一年九ヶ月くらい、フレームレートが低過ぎる。約600日だよ。14400時間。その間に思い出せる出来事、5つくらい。

  いまや iPhoneでも60fpsで動画撮影できるわけじゃん。1秒間に60コマもあんのに、俺の一年九ヶ月は5コマ。0.00000009645061728fps。なにこれ? 死んだ星?

  なんかさ、ここまで放置してしまったからには再開する時は好きな人について書くべきだと思ってたし、じゃなきゃ再開する意味なんてないじゃん。だってそもそもこのブログのコンセプトは好きな人についてで、このブログの更新を楽しみに待ってくれている御方々(がもし居れば)には申し訳ないけれど、どこまで行ってもここは俺の自己満足と自己表現の場でないといけなくて、そして他人のことを無許可で書き連ねている以上、それは無価値でなくちゃダメなの。

  で、そういうことを考えながら、少し昔話になるけど、ちょうどこのブログの更新をやめた頃、ふと思い立って、もう二度と好きな人に好きだの付き合ってくれだの伝えるのはやめようと決めて、でもそう決めたら俺、好きな人と話すこと、何もなくなっちゃった。

  たぶん、どこかの記事で似たようなことを既に書いてると思うんだけど、すべての事象がまるっと全部、好きな人という枕詞から始まっているし、この世界のあらゆるものに好きな人という修飾語がかかっていて、まるで自分がキブラコンパスにでもなったみたいに当たり前にそうしてたもんだから、話すことがなくなることに気付いた時、すこし好きな人と距離を置くことに決めた。

  更新をやめている間にこの『ビキニ環礁シンジケート』は開設から二年半が過ぎて、アクセス数の総計もゆうに十万を超えて(!)、片思い自体も当初想定していたものよりも多くの時間と人を巻き込みながら三年以上が過ぎた。

 えっと。あのさー。

 全然褪せねー。距離を置くとか意味ねー。

 いや、もうさすがに、一年九ヶ月前と全く同じ気持ちとは言わない。けどさ。けど、チャンピオンの席にはずーーーーーっと同じ人間が当たり前みてーな顔して座り続けてて、それにはもはや片思いと呼べるような純度はないし、どこが好きかなんて結局ほんの一瞬もわからないまま、からっからに乾いた好きな人の残滓みたいなものだけで他の人たちを圧倒し続けてる。

  正直こちとら完全に飽きてんの。片思いに関して言えばもう百パーセントで飽きてる。なんか片思いも数えで三年が経つとわかってくんだけど、あれなのよ、片思いって名前があって特別な日々みたいな振りをしてるけど、実態は”無”なの。これがたとえば付き合ってればその恋人と喧嘩したりどこかへ遊びに行ったり、何ヶ月記念だねーつって普段なら会わない曜日にお互いの時間を合わせたり、そうやって[交際ステータス]限定のイベントがあるんだけど、片思いってそういうのが何もない。THE 日常。

  片思いの素人は、恋そのものが世界に色をつけて人生を彩ってくれるでしょ、恋に相手の気持ちなんて関係ないみたいなことを言うかもしんないし、まあ、俺も過去にはそんな机上の空論(ロマンティックセオリーオンザデスク)を語っていたんだけど、けどさ、いや、たしかにそうなの。序盤戦はそう。恋をするとそれが片思いだとしても、はじめは世界が見違えるように輝いて見えてるもんなんだけど、ただなんだろね、ずっと輝いているとさ、こう、なんつーか、慣れてくるっていうか、ちょっと理科の話になるんだけど、明順応? 知ってるかな?  えっと、トンネルから出た直後のあれね、恋にも明順応があんの。

 特に何かを積み重ねるわけでもなく、好きな人との思い出や絆が深まるわけでもなく、ステータス画面に表示されてる関係性はただの友人で、この期間に増やせるのは恋愛ゲージとは関係のない友情ゲージ。好きな人との友情ゲージはとうの昔にカンストしてるもんだから、俺がしてるのって、進化し損ねた100レベのポケモンを連れて四天王を周回してるだけなのよ。経験値も貯まらず、四天王を倒せた感動もないまま。だれか助けてくれよ。

  去年とか一昨年の記事を読み返しても懐かしさとか全くないの。なぜなら完全に同じだから。なにか順位に変動があったり、チャンピオンの座を揺るがすような白熱した防衛戦とかがあれば、あの頃の気持ちを今と比較することで俯瞰して見れるのかもしれないけど、ずっとあの時のまま、FPP視点で恋をし続けている。

    悲しくなれないくらい、もう、好きな人のことが好きで、同時にそれを諦めてる。

  ってことを一年半くらい前にこのブログで書いてたんだけど、百パーセントでもって同じ気持ちでびっくりした。好きな人が俺のことを全然好きじゃないという事実なんて、それごときでは俺を少しも悲しませて損なわせることはできないし、それくらい好きな人のことが好きだと諦めている。これ、俺読み返してなかったら、完全に同じ内容の記事を書くハメになってたと思う。新しい記事を更新しました! つって一言一句同じ内容の記事を更新してたと思うもん。ブログの記述通り。なにこれ?  ゼーレのシナリオ?

    俺はこの『ビキニ環礁シンジケート』という裏死海文書を手にしているからこの恋の結末なんて当然知っているし、どこかでそれでいいから終わってくれーなんて補完されることを他人事みたいに望んでるんだと思う。正しいことをしなければ報われてはいけないのに。なんか、今までの俺って、気持ちを伝えるのはストレートだとストレートなほど良いと思ってて、気になる人ができた時には、あなたのことが気になっているのでこれからは頻繁に誘ってもいいですか、という旨を常に伝えてきた。

 なぜかっていうと、俺が理想とする男性像はミッキーマウスで、判断に困った時、選択を迫られた時、俺は常にミッキーマウスが選びそうな方が正解だと思って生きてきた。それを正しく選べたかどうかはさておき、友人から悩みを相談された時、ミッキーならたぶん手を握りながら何も言わずにうなずいてパーティに誘ってあげるだろうし、上司にトンチンカンなことで怒られた時もきっとミッキーは逆ギレなんてしないし、うじうじうだうだなんてしない。僕らのクラブのリーダーは、長く付き合ったミニーとのもう何回目かもわからないデートの日、行くところがないからといってラブホに直行なんてきっとしないに違いないと、そんな風に考えてきたし、正しい方を選べた時はだいたいグッドエンディングを迎えられていた。

 なのに今回はそのミッキーマウスメソッド(通称:MMM)がまるで通用しない。なぜならミッキーは片思いをしたことがないから。ランナーズハイの先の、感情の死みたいな片思いをミッキーはきっとしないだろうし、たとえばミニーが死んじゃったりしてもミッキーはきっと想像すらできない魔法でミニーを生き返らせて、必ず最後はハッピーエンドにしてしまえるんだと思う。俺もそんな力が欲しいよ。諦める方法も全うする方法もなくて、陸上に上がると自重で死ぬ深海魚みたいに片思いっていう深海でじっとしながらただただ待ちぼうけてる。

  ま、そんなわけで、今回の更新はとりたてて特に何かがあったり、書きたいことがあったわけではないんだけど、好きな人のことを好きでなくなったわけでは全然ないっつーことを2019年中に書き記しておきたかったってことと、早くタイの洞窟にいた少年たちみたいにそこから救い出してくれっつーことをお願いしたかったの。