ビキニ環礁シンジケート

書くことが楽しい

涙が蒸発する音

 俺って好きな人がいんだ。これまでも幾度となく本人にそうやって伝えてきたし、けどなんか、好き好き言われまくると一回当たりの好きのありがたみが減る、みたいなことを言われて、いやいや、好きって言葉はインフレしないだろって納得してはないんだけど、まあそんな意見もあんなら、ってことで、好きと伝えてもいい回数に自分で制限をかけた。

  制限をかけるまでは、俺の中の好きって気持ちの大きさに比例して好きと伝える回数は増やしてもいいっつー愛本位制を採用してたんだけど、やっぱ歴史ってすごいよね。昔って金本位制の他に銀本位制っつーのがあったんだけど、銀山が色んなところで見つかったもんだから銀ってあんまり価値ないよねーってことになって、一気に廃れた。それとおんなじことを繰り返してる。歴史はすごい。

  したっけ俺も歴史から倣って、というかその実態は強制、なんだけども、管理通貨制度、言わば管理好き制度を採用して、中央政府もとい好きな人のご機嫌で決められた供給量通りの好きでなんとかかんとか毎月やりくりするハメに。

 けど俺って江戸っ子だから宵越しの好きは持たないんだよね。んなことお構いなくその月の規定回数は初日で使い果たしちゃうし、好きな人は俺の好きって気持ちなんてあっという間に汲み尽くして、そうすると、回数制限があることで残りの三十日間は好きという言葉を封印して、気持ちもひた隠しにして、一介の良き友として接しなければならないんだけど、そんなわけにもいかず、毎日もう、借金借金の日々。借金っつーか借愛っつーか。

  たとえばこないださ、急にわけわかんないくらい好きという気持ちがあふれて、これはもう好きって伝える他ないぞ、つって、でもその月の規定回数は既に終わってるから銀行に愛を借りに行ったんだけど、そんなの毎月のことだからブラックリストに載っちゃっててさ、結局町の消費者愛融やら怪しい闇愛から愛を借りてね、そうやってかき集めた愛で、好きってことをありったけ伝えてほくほくしてたの。造語が多すぎない?

 でもやっぱり闇愛とかって非合法だから取り立てがすげー厳しくて、こう、返済期間が過ぎるとコワモテの男が家までやってきてドアとかをどんどこ叩いてきて、愛の返済期間はとっくに過ぎとんやぞっ!!! 借りた愛は耳そろえて返さんかいっっ!!! この愛泥棒っ!!!  つって、えっと、あの、ちょっと自分のたとえに引っ張られて世界観がメルヘン過ぎんだけど、まあそんな感じで、居留守を使ってもドアに「私は借りた愛も返さない最低な人間です」みたいな張り紙をされて、ひそひそ、あの人よ、人の愛を返さないなんて最悪ね、みたいな。

  連帯保証人の両親のもとにも取り立てが行って、愛を取り立てられた両親は離婚、それでも俺が借りた愛には到底足りなくて、ある日無理やりコワモテの人たちに連れてかれて、事務所に居た愛の元締めみたいな人から、もうええよ兄ちゃん、強制的に愛を返してもらうことにするから、みたいなことを言われて、そのまま山奥のすげー寒い小屋まで運ばれて、愛らしい動物の赤ちゃんの映像とかを延々と見させられる。

 パンダの赤ちゃんが転んだシーンとか、仔猫がせいいっぱい威嚇してる様子、ハリネズミが寝てる映像なんかをたくさん見せられて、その小屋にはうさぎが飼われてて膝の上に乗ってきたりするんだけど、夜になると専用の器具で溜まった愛を吸い取られる。ひどく悲しい。愛を吸い取られると可愛らしい動物の映像を見ても「真核生物に含まれ、一般に運動能力と感覚を持つ多細胞生物の総称」みたいなことしか思わなくなって、うさぎとかも平気で踏む。邪魔だから。

  そうやって廃人みたいになって、けどなんとか愛を返済しきって、もう二度とこんなところで愛を借りたらあかんよ、つって元締めに知らない街で降ろされて、からっぽの心と体でぼーっと、俺はなにか大切なものを喪くしている気がするな、なんて考えながらいつものコンビニ弁当と人工照明の生活に戻って、そうやって大切なものやかけがえのなさみたいなものを喪いながら月を跨いだ時、また新しい好きという気持ちとそれを伝える権利を得た瞬間、マグマみたいに熱い感情が湧き出て、それは言葉や態度みたいなものに形を変えて奔出して、そうだそうだった俺はこんなにも好きだったんだ、どうしてこんなに大切なことを今まで忘れていたんだ、今すぐにでも伝えなきゃいけないんだ、つって、そうやってまた初日で使い果たす。そういうわけで初日に使い果たすのは別に俺が江戸っ子なのが理由じゃないし、そもそも江戸っ子じゃない。

  でもそうやって伝えた思いなのに相手にはもう、とびっきり響かなくて、えっなに、いきなりどしたの、みたいなことを言われて終わって、その月の俺は欲求不満で死ぬ。いや、俺だってほんとはLINEとかで言うだけじゃなくてもっと違う形で示せるなら示してえよ、理想を言うなら好きって気持ちでハニーフラッシュを撃って、悪人を懲らしめたいと思ってる。それを好きな人にすごいね、綺麗だったねっていっぱい褒めてもらいたいし、ハニーフラッシュを撃ちたいって言うのは、まあ、嘘なんだけど、好きって伝えた時に、好きって伝えられて偉いねって褒められたいとは思う。それはすごく良いことだから。

  今はあいにくすげー寒い山奥の小屋から更新してて専用の器具で愛を吸い取られたあとだから、俺は一人でも生きていけるのだ、みたいな感じなんだけども、しかも、ここ数日の仕事の立て込み具合とたくさんの小さくて嫌なこととすこしの大きくて良いことのおかげで性欲がゼロなんだけども、それでも好きな人のことはかわいいって思う。思うんだ。俺ってさ。

  すこしの大きくて良いことの話でひとつだけ書き留めておきたいことがあって、少し前、大好きな大好きな先輩のもとへ赤ちゃんがやってきた。今年二回目の大雪が降った日の夜、うまれたよ、とその人から連絡があってそのことを知った。二月十二日、十九時二十分。送られてきた動画を画面越しに見たその子はとてもとても小さくて、本当に優しく嬉しそうに声をかけられていて、なんかそれが無性に泣けた。
 同じ週の金曜日、去年帯解寺で買った安産祈願の御守りをお焚き上げしてもらって、代わりに買った魔除けの犬のぬいぐるみと俵万智の『生まれてバンザイ』を持ってお見舞いへ行った。ミッションコンプリート。伝えたいこととしたいことの全てを込めた。大好きな人と、その人の大好きな人から産まれた子は俺にとっても大好きな人だから、その呱々の声に応えたい、と思った。

  病院の先輩の個室には小さなベッドがあって、実際に見た産まれたての赤ちゃんにはショッキングなくらいの意味の濃度を突き付けられた。他人の生きる意味を目の当たりにしたような気分だった。文字通りのかけがえのなさが寝息を立てていて、先輩によく似た鼻と、おそらく旦那さんに似ている目、そうやって愛されて半分こずつで産まれてきたその子のほっぺたに少しだけ触らせてもらって、それがメレンゲみたいにふわふわしていたから堪らずとろけた。

  赤ちゃんは最強。俺は全員の赤ちゃんのファン。ほんとに。全ての赤ちゃんが毎日幸せに暮らしてほしいし、赤ちゃんのことを想うと、あのごめん、ちょっと散らかってるけど、よかったら好きにくつろいでよ。こんな世界でごめんなマジで、って気持ちになる。世界中のお母さんとお父さんほんとありがと。せめて暖かい場所や涼しい部屋で赤ちゃんのことだけを考えて過ごしてほしい。

  お見舞いから帰ってきた日の夜、ずっと彼女と二人で「はじめてのおつかい」を観た。がんばれー!  がんばれー!  ってすげー手に汗握り合ったし、長い長いおつかいから帰ってきた子供が遠くにお父さんの姿を見つけてこらえきれなくなって泣いちゃった瞬間、近藤房之助がショゲナイデヨベイベッって歌い始めた瞬間、二人して完全に泣いた。善いものってそれだけで涙の理由になるんだ。そのお父さんも子供がおつかいから帰ってきた姿を見て泣いてるし、スタジオの人らもみんな泣いてて、彼女なんか最後の方、軽い過呼吸おこしてた。子供より泣くなって。

  でも子供より泣く気持ちもすげーわかんだ。あれって完全に大人を泣かせるための構成だし。近藤房之助はマジで良いね。歌詞とかも実はちゃんと読むと泣けるし、なによりあの声が良い。ほら、Ben E.Kingに「STAND BY ME」ってスーパー名曲があるでしょ。あれを彷彿とさせられる。あれって出だしが、ウェンゼッナイッじゃん。コラボしてほしいわ。どっちも泣けるし。近藤房之助が、ウェンゼッナイッでよベイベッつっても泣けるし、Ben E.Kingがショゲナイッ カムヒーつっても泣けると思う。面白いのでこの話もう少し続けてもいいですか?

  全然関係ないシーンでも近藤房之助がショゲナイデヨベイベッって歌い始めた瞬間、みんな反射的に泣くと思うんだ。たとえば、ほら、電子マネーの決済音にしない?  なんか、QUICPayとかWAONみたいに、コンビニとかでFuSaNoSuKeでお願いします、つって、読み込みリーダーにかざしたら、ショゲナイデヨベイベッって流れるやつ、作らない?  したら俺も泣くし、店員も泣くと思う。ぬくもりってこういうことじゃないの?

  で。あんまり「はじめてのおつかい」の「しょげないでよBaby」が良かったから観終わってからずっとYouTubeで聴いててさ、それから毎日、会社帰りとかに聴いて号泣しながらビジネスバッグとか引きずりながらママーーッッ!!!  って言いながら帰ってんだけど、したらなんか最近、「はじめてのおつかい」の陽気なバージョンの挿入歌で「ドレミファだいじょーぶ」って曲あんじゃん、だーれにもーなーいしょーでー、おーでーかーけーなのーよーってやつね、それが関連動画にあることにも気付いて、あ、これも同じB.B.クィーンズなんだ、ってその時知ったんだけど。

  あれ、でもこの曲、近藤房之助って歌ってたっけ?  女の人だけじゃない?  とか思いながら再生してみたら、なんか、曲の合間合間に、オッケェユガティとかベエエエイベィテッキミィジィとかアアアアンッッッみたいなこと言ってる男がかすかに居て、どうしたどうした房之助、お前そんなんじゃなかったじゃんって、ははんオメェあれだな、「おどるポンポコリン」を聴いてた時からかなり不信感はあったけど、さてはそっちが素なんだな、つって、したら急に涙も乾いてきて、マグマみたいな奔流も冷めていって、あっ、愛を吸い取る専用の器具ってこれのことだったんだ、つって、けど、俺は悪人を懲らしめらんないの。ハニーフラッシュを撃てないから。