ビキニ環礁シンジケート

書くことが楽しい

日々は光って流れた

 新しい恋には新しい人がいて、その年の冬に僕がほんの数日だけした勘違いにも、その勘違いと同じくらい甘酸っぱくて眩しい人がいた。

  クリスマスにほど近い十二月の金曜日、デート倶楽部で手慰みに買った女の子は僕が指定した通りの制服を着て現れて、ウリなんてしそうもない純粋そうな顔で「日奈香。女子高生だよ」と名乗り、笑いながら「って設定。」と付け足した。

 寒いからどっか入ろうよーという日奈香に「お酒でも飲もっか」と提案して、僕が普段同僚と飲むのに使っている店からは三ランクくらいグレードの高い店へと入った。席に通された彼女はきょろきょろと店内を見渡しながら、でもすぐに行儀のよい少女みたいにちょこんと椅子に座りなおして、そのあと小声で「お兄さん、実は結構遊んでる?」と訝しげに尋ねてきた。

「実はって、モテなさそうな雰囲気なのに、ってこと?」と僕は彼女の正直な言葉に苦笑しながら聞き返すと、彼女は途中でテーブルにやって来たギャルソンがベニエやらカナッペやらとよくわからない料理の説明をし終えるのを待ってから「そういうわけじゃないけど」と言った。

「だって高校の制服を指定してくるし、しかもだよ、あたしは制服着てるのにお酒飲もうって言われて、そりゃこの人大丈夫かなって思うじゃん。なのにこんなお洒落なお店だったから」

 彼女の指摘はもっともで、たしかに制服を着させてきたくせに酒を飲もうと言ってくる相手なんて社会不適合者か、そうじゃなくてもとても女慣れしてるような男がすることではない。僕は笑いながら自分がこの通り遊んでないこと、ただ実際に来た人が想像以上に可愛かったから予定してた安い飲み屋さんを急きょ変更して来たことのない店へ入ったこと、だからさっきの店員さんの説明も実は全く意味が分からなかったこと、なんかを正直に白状した。

 日奈香はそれに対してふうんといった様子で、一応保留にしておきます、と言って、カッコつける必要がなくなった僕は、ところで注文どうしよっかと笑って、やっと彼女も「あたしも全然わからなかったけど、友達にかなっぺって居るからそれだけはちゃんと覚えてた。食べてみたい」と笑い返してくれた。

 僕たちは丁寧に料理の説明をしてくれた先ほどのギャルソンに、二人で選んだカナッペと、適当なワインと彼女の分のミネラルウォーターと、あとはよくわからないので、と一番手ごろなコースを二人分注文した。ギャルソンが気を利かせて「ではコースのオードブルをカナッペに変更いたしますね」と言ってくれて、僕たちはやったねとお互いに目くばせし合って、なんとなく二人だけの特別なコースが食べられるような高揚感の中で、彼女が運ばれてきたカナッペを写真を撮って友達のかなっぺに送信した頃にはすっかりと打ち解けあえていた。

 一口食べるごとにむふうんと漏らしながらとても上機嫌そうな彼女は、だけど急に思い出したように恭しい表情を作り直して、とても美味しいですね、なんて言って、僕はそれで笑って、そうですね、と返して、彼女もこらえきれなくなったみたいにつられて笑って、そんなふうに時間があっという間に過ぎて、ヴィアンドが終わってデザートを食べている時、彼女が「さっき言ってた安い飲み屋さんってこの近く? このあと行きたい」と突然言った。僕は冗談めかして「それは別料金?」と訊いて、彼女は「サービスに含まれておりますが、いかがいたしますか」と妙にかしこまった言い方でまた破顔する。

 店を出たあと、彼女はうーさむーと言って、ねぇお兄さんってほんとは制服に興味とかないんでしょ?  もういいよね?  お酒飲みたいからちょっと服買ってくる、と近くの服屋さんへとあっという間に入っていって、関係ないアクセサリーを手に取ってこれの色合いが可愛いとか似たようなのを持ってたけどなくしちゃったとか色々僕に教えてくれながら、そのあと何着かの服を選んで、結局、試着した中で僕が一番かわいいと言った薄いグレーのシャギーニットを買った。

「お待たせしましたっ。どうでしょうか」

「ばっちりです」

 それを聞いた彼女はるんるんとした様子で腕に抱きついて「これもサービスだよ」と僕の斜め下で笑って、それがあまりに可愛くて、僕はおそるおそる彼女を抱きしめた。僕は彼女を買う何人もの客の一人だし、それはそうだったのだけど、その時の僕はやっと結ばれた片思いの相手みたいに彼女のことを大切にしたいと思ったし、そう言うと彼女は、嬉しいかも、と照れた。

 いつも使う飲み屋さんに二人で入ってから、僕は「ところでどうして僕が別に制服フェチじゃないってわかったの?」と訊ねた。彼女は「だって私の制服姿を見た時になんにもかわいいとか言ってくれなかったし、しかもそれだけじゃなくて、一瞬、なんでこの人は制服を着てるんだろう、みたいな顔してたもん」と言って、ふつうそんなのあり得ないと僕の肩を不服そうに叩いて、僕は彼女の観察眼に驚きながらも誤解と不満を解消するための思いつく限りの言い訳を並べた。

  彼女は運ばれてきたお通しを興味深そうに眺めながら、またふうんとそれを聞き流して、「ごろごろもつ煮とビールがオススメだよ」と言う店長に「じゃあごろごろもつ煮とビール!  ビールは二つお願いします!」と僕の分のドリンクまで元気よく注文して、それだけで店長と店の常連客たちとついでに僕は一発で彼女のことが好きになったみたいで、それからはみんなが、どうしてこんな男に引っ掛かっちゃったのとか口々に質問して、彼女は「あたしの兄の知り合いだったんですよー」とか適当に話を合わせてくれて、この店はもつ煮だけは美味しいんだよな、なんて言う常連とそれに怒る店長を見てみんなではしゃいで、その隙に日奈香は「これにがーい」とビールを僕に押し付けてきて、自分は別にカルピスサワーを頼んで、それを見た店長も悪ノリして自分が飲んでたビールを僕に押し付けて「これにがーい」なんて言って、それでまたみんなで笑って、そんなふうに時間が過ぎていってようやく二人で落ち着いて話せるようになった頃、僕は忘れないうちにと彼女に小さな箱を渡した。

「はい、これプレゼント。もうすぐクリスマスだし、今日はすごく楽しかった。ありがとう」

  彼女は驚いた顔でそれを開け、中に入っていたネックレスを取り出した。

「え、これってさっきあたしが見てたネックレスだよ。いつの間に買ったの?」と目をぱちぱちさせながら言う彼女に、僕は「いい?」と尋ねて、彼女は嬉しそうに「お願いします」と言った。後ろにまわってその細い首にネックレスを付けてあげると、さっき買ったシャギーニットの上に、控えめに輝くそれがもうびっくりするくらい似合っていて、僕がそう言うと、彼女はありがとう、すごく、うれしいと一語一語確かめるように言って、自分のスマホのインカメラでそのネックレスを何度も何度も確認しながら、そのまま僕に肩にもたれて写真を撮った。

「どうでしょうか」

「ばっちりです」

 僕たちは笑ってそれからまた色々な話をした。彼女が動くたびに胸元のネックレスがちらちらと輝いて、そんなに高いものじゃなかったけど、その慎ましさがかえって彼女の優しくて少し幼い雰囲気にマッチしているようで、もう一度、ばっちりです、と言った。

 気がつくと彼女とあらかじめ約束していたデートの終了時刻はとうに過ぎて、あと三十分もすれば終電という時間になってようやく僕らは店を出た。店長はいつもより愛想多めに「またいつでも来てね」と言って、彼女はそれに元気よく「絶対に来ます」とこたえた。

  今日すっごく楽しかったーと何度も言いながらイルミネーションに彩られた街をちょこちょことした足取りで歩いていた彼女は「あのねあのね、終電までもう少しあるからあっちのイルミネーションの方を通って帰ろ」と僕の腕にまたしがみついてきた。

  デートだけの約束で買った、おそらく女子高生じゃない彼女。日奈香の降りそこねた雪みたいに白い肌と、大きくてくりっとした目と小さな口と耳、それらに最適化されたような薄化粧やまっすぐ肩へと延びた黒髪は、大人と呼ぶにはあまりにも澄んでいて、だけど子供と呼ぶには完成され過ぎていた。そして同時に僕にとってこの数時間は、彼女のことを知るのにはあまりにも短過ぎて、なかったことにしてしまうのには長過ぎるように感じた。

「実はこの仕事、今週末でやめるんだ」

  イルミネーションに囲まれた広場のようなところで、彼女は僕の複雑な思いを完全に汲み尽くしているみたいに唐突に切り出した。

「目標のお金もたまったし年が明けたら海外へ留学しようと思って」

 彼女がどんな表情でそれを話しているのかは分からなかったけど、きっと子供と大人の依羅の真ん中のような表情で嬉しそうに話しているはずで、だから、僕は大人らしく男らしく、おめでとう、とだけ言った。

  イルミネーションの無邪気さと十二月の無機質な寒さと喧騒の中で、彼女の存在だけがはっきりとしていて、声だけが輪郭を持ったみたいに僕へとまっすぐ届く。

「あたし一年経ったら日本に帰ってくるから、そしたらすぐに連絡するから、またカナッペとごろごろもつ煮食べに行こうね」

 こらえきれなくなって振り向いて見た彼女の横顔はやっぱり、思ったとおり、笑っちゃうくらいに綺麗で、湿っぽさや寂しさなんて少しもないかのように楽しげだった。僕は彼女を給料の何十分の一の値段で買って、彼女はそのお金で何百分の一か夢に近付いて、そうやって交差したほんの数時間の出会いで僕は少しだけ勘違いをした。

   彼女ともう一度会える日のことを今はうまく想像できないけれど、もう一度会えた時の彼女の顔はきっと少し大人びていて日焼けなんかもしているはずで、一緒に食べるカナッペとごろごろもつ煮は変わることなく相変わらず美味しいままのはずで、ひとまずは悪くない、と思う。

  「それは別料金?」と僕は言って、彼女はけらけらと笑いながら「サービスに含まれておりますが、いかがいたしますか」と答えた。

「またね」

  うん、またね。

「絶対に連絡するから忘れないでね」

  もちろん。じゃあね。

「また一年後に」

  胸元にあるネックレスはイルミネーションの光を反射させながら、いつまでもいつまでも光っていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日も指名した。