ビキニ環礁シンジケート

書くことが楽しい

毒の沼を歩く

 サルモネラ菌の食中毒で四十度くらいの高熱が二、三日続いて、このまま世界が終わってくれ、などと世のすべてを憎々しく思ってる時に、そんなこと一切言ってないのに会社の人から、欲求不満なら代わりに彼女になったげる笑笑、みたいなボケカスな告白をされて、はあ? 舐めてんのか? とか思ってたら、普通には言えなかったけど好きなのはホントだよ、みたいなことを最後に言われて、ほんとふざけんじゃねーぞ、なあに真実の愛みてーな顔して言ってんだよ、よくそこで一回ふざけられたな、そんなのが愛ならばいっそ永久(とわ)に眠ろうか……つって、本当の本当に世界が終わってしまった。

 もうさー、毎日絶食だし、ずっと続く悪寒のせいで全身筋肉痛、毎晩赤犬に「なんじゃァおどれは……」と殴り殺される夢を見て、何かを口にした途端全て吐く、みたいなさ、散々な日々だったのよ。欲求不満どころか下がらない熱だけがやつれ切った心さえも壊してたからね。まさか俺の口、食事のやり方忘れたんじゃねーの? みたいな、そんなとこまで疑ってた。なあ一応確認なんだけど水分補給って口に入れたら終わりじゃないんだけど大丈夫? 飲み込むって覚えてる? と訝しげに水やらポカリスエットを飲むんだけど、口も最初はおいしーおいしーって受け入れるのに、少ししたら思い出したようにだーーって全部吐き出す。

 不信感しかない。どうすんだよこの空気、みたいな。お前一人勝手なことするからみんな迷惑してんじゃん。しかも吐くのってめっちゃくちゃ苦しいから、全身にびっしょりと汗かくし、いや、そこまでして水分を外に出したい動機はなに? みたいな。

 水分補給も満足にできないし、仕方がないから病院で点滴することになって、したら病院にあったいくつかのベッドには自分と同じように水を飲むことが下手な生き物たちが腕から強制的に水を飲まされてて、俺もうそいつらの姿があんまりに情けなくって、自分もこれからそいつらの一員になるんだって考えたら悔しくてこっそり泣いた。こんなの尊厳ある人間の姿じゃねーよ、殺してくれ殺してくれって。

 んでもやっぱ点滴ってすげーもんで、終わる頃には随分と気持ちも楽になって、なんだ、病院で処方箋を貰って横の薬局に薬を受け取りに行った時、レジの横に飴ちゃんが置いてあったんだけど、なんとなく一つ食べてみようっつー気持ちになれるくらい元気になったんだよね。したっけミルクキャンディみたいなのを取って食べたんだけど、当たり前のように吐いた。また一つ世界への不信が募る。

 まあ今思い返すと、水で吐くんだからミルクキャンディは普通に自業自得なんだけど。でもあれ、病院だし人前だしって色んなことが頭ん中で吐く寸前にリフレインして、最後の力を振り絞って吐き気に抗おうとした結果、すっげー小さく吐くみたいな感じになった。なんだろ、赤ちゃんってすぐ吐くじゃん、ミルクとか。あんな感じのゲロだった。食べてたのもミルクキャンディだし、なんつーのかな、ビジュアル的には赤ちゃんそのものみたいな、愛らしさが全面に出てるような吐き仕草。汚い話でごめんね。けど俺が意識が朦朧とするような高熱の中、他人様に迷惑をかけまいと必死に耐えた結果、赤ちゃんになっちゃった時の気持ちを少しでいいから想像してほしい。あの瞬間、たしかに俺は世界で独りぼっちだったよ。

 薬剤師のおばちゃんも百七十センチ後半の男が赤ちゃんみたいなゲロを吐いてるギャップにやられたのか、ひっくり返って飛び出してきて、あらあら〜大丈夫だったよ〜大丈夫だったよ〜つって、パニックになりながら何故か過去形で断定されて、最初は過去形の断定で慰められるのって意味不明だったんだけど、これ信頼感がすげえのな。あ、この人の中では本当に終わったこととして処理されてるんだ、っつー。俺、独りじゃなかったんだ、ってそんなことを考えながら、おばちゃんに背中をさすられてトイレへと連れてかれて、口が気持ち悪かったらこれ使って〜、と妙に厚手の紙コップまでくれて、ありがてえありがてえって使わせて貰ったんだけど、ひょっとするとこれ検尿用の紙コップかもしんない、っつー考えが頭をよぎる。俺の目からハイライトが消えた瞬間。

 口をゆすいでしばらく休んでトイレから出て、普段の俺だったら、おかげでラクになったわい! お礼にこのひでんマシン01をあげよう! ガッハッハ! なんつー楽しいやり取りで場を和ませるんだけど、当然そんな余裕も信頼関係もそこにはなくて、挙動不審に周りをキョロキョロ伺いながら薬を受け取って、そんなこんなで一週間くらいかかってやっと腸炎が完治したんだけどさ。その頃には完全に心を閉ざしてた。

 やっとこさ会社へ戻って、大丈夫? しんどくない? とみんなが心配そうに、でも明るく出迎えてくれたんだけど、俺は仕事に穴を開けた申し訳なさやら病み上がりのしんどさやらで、あれだけ明るくて人懐っこい俺が「ア、ハイ」だの「ウッス」しか言わないもんだから、周りも俺がアフガン帰りで性格が変わってしまった元米兵みたいな感じでよそよそしくなってきて、今はそっとしておいてあげましょう、彼は今も戦っているのよ、的な。

 そんな中、復帰祝いに飲みに行くぞー! 野郎ども宴だー! とルフィみてーなノリの上司に飲みに連れて行ってもらって、俺もそのおかげでだんだんと楽しくなってきて、捨てたもんじゃねーな人間、みたいな。なんだかぽかぽかする……これは……? と目にもハイライトが戻ってきて、まあ心の方は置いといて体調の方はもともとばっちり万全だから、日本昔話みたいな盛り方をされたご飯ももぐもぐ食べられるようになってて、絶好調! 真冬の恋! っつー感じでスピードに乗ってビールやら焼酎やらをガブガブ飲んでて、そんなのを一時間も続けてると、見事にブレイク寸前、幸せへのゴール。あ、やばい、これ吐く時のあれだ。俺ももうそれ以上飲まなきゃいいのに、こうなんだろ、これまでの飲酒を急に止めることでバランスが崩れて吐いてしまうことが怖いというか、そういうのってあるじゃん。たとえば坂道を自転車で下ってて、想定以上のスピードになっても変になって転ぶのが嫌だから全力でブレーキかけられない、みたいな。

 んでトイレに駆け込んで吐いてたんだけどさ、一通り吐き終わったあとのロスタイムみたいな時間に、こう、便器と円陣組んでる感じで、ああ辛いなぁ辛いなぁと、ふと壁を見上げたら、怪我と災は恥と思え、だの、人の苦労を助けてやれ、だの書いてて。親父の小言。それ今言うことかよ。

  何をしてもうまくいかねーし、治ったのに満足に食事もできない、あらゆるものが俺を責め立ててるようなみじめな気持ちになって、二次会も断って電車で一人家へ帰ろうとしたら、怖えもんなしかよっつーおっさんが電車の中でざる蕎麦を食ってた。ああ、俺は生物としてこのおっさん以下なのか。まるで世の中にある悪意と歯車がカチッと噛み合ってるみたいに、自分の意思とか気持ちに関係なく周りの悪意のまま自分の気持ちが動かされて引っ張られるようにくるくる空回りする。

 ほんっとにサルモネラ菌だけは気を付けたほうが良い。これまで散々、愛が全部、最後に愛は勝つ、とここで言ってきたけど、頂(いただき)にはサルモネラ菌がいたわ。ちゃんと愛だの友情だのそんな絵空事を語る前に現実のサルモネラ菌の怖さに向き合うべきだと思う。医者曰く、普通に子供とかなら死んでもおかしくないらしいし。俺は幸い成人男性だから子供の約十倍くらいは免疫力があるみたいで三日間、四十度程度の熱で済んだけど、これで行くと、子供だったら一ヶ月間、四百度の熱が出てもおかしくないかんね。それはもうピザ窯だよ。

 なんかよくフィクションとかでさ、愛の力で難病を克服するみたいなのがあるけど、あれぜってー嘘だと思ったもん。普通にそんな余力ないし。無力。明確な死の前では愛は無力。こう、なんだろ、心の中にあるエネルギーっつーのかな、あれって全然有限のもので、肺活量みたいに個々でその総量って決まってるんだと思うのね。それを自分が大切だと思うものに振り分けるわけなんだけど、まあ、だからと言って常に百パーセント使ってるわけじゃなくて、たとえば仕事のストレスに負けないために三十、好きな人を思う気持ちへ二十、周りの空気に合わせてうまく作り笑いするために十、みたいな風にメモリを割り振っていて、たまに緊急事態が発生してもトントンとその場で軽くジャンプすることで、心の中にすき間を作って、よし今夜は徹夜で頑張ろう、みたいな、そういうことが可能になるわけなんだけど、サルモネラ菌から心を守るためには普通に百二十パーセントの力が必要だからね。健康じゃないと本当に何も手につかない。命あっての物種って言葉を噛み締めて、気を引き締めながら九月も変わらずに頑張ろうっつー感じで。さすがにブログももう少しね、特に何もないんだけど。

 まあそんなこんなで恋の季節の後半戦は見事にフルスイングしてたわけなんだけど、あれだね、気が付くと夜なんかは随分と涼しくなってきて、今日食べた秋刀魚もすっごく美味しくて、どんどんと夏の中に秋らしさみたいなものが含まれはじめたね。特に状況も環境も変わっていないのに、そんなことはお構いなしに時間だけが過ぎていってることになんだか不思議な気分になるんだけど、なんつーか、不思議な気分って言ったら、あの、さっきからかなり腹痛がひどくって、そろそろ限界ッスって感じなんだけど、ほんと軽い気持ちで「秋刀魚 腹痛」って調べたら、サンマの季節にご用心☆意外と多い「アニサキス」に気をつけて!! っつーページが出てきて、今もう本当に、投げ捨てられた空きカンのようだ。